もうすぐ海外に売られる予定
引きこもりになったのは、16歳ぐらい。
高校には行かず、バイトする!っていって、卒業後すぐにバイト探した。
3つ掛け持ちした。
朝はファミレス、夜はデリバリーピザ、どっちも休みの時は、知り合いがやってる蕎麦屋の手伝い。
普通の高校生なら、昼間から働くなんてできない。
髪の毛染めたりできない。
バイトばっかりすることなんてできない。
優越感に浸っていた。
初任給は、3万くらいだった。締め日が働き出してすぐだったから、期間が短くて。
それで母になにかご馳走しようと思った。
もう何年も、母と外食なんてしたことなかった。
といっても、行ったことあるのはスーパーのフードコートくらいで、それもラーメン一杯を二人で分けるとかそんなんしかしたことなかった。
だから母はすごく嬉しそうだった。私もそれがすごく嬉しかった。
覚えてるわー、カプリチョーザに行ったw
全然、高級でもなんでもないんだけど
お金使い慣れてないし、外食もしてないし、ビクビクしながら入ったお店だった。
母と二人で、嬉しいねー楽しいねーと言いながら食べた。
帰り道にあった陶器屋さんみたいなところで、湯のみを買った。
母はすぐに食器を割るので心配だったけど、大事につかってくれた。
それから一年、すごい頑張った。
15歳の時給なんてしれてるけど、それでも月に12.3は稼いでた。友達もいないし、遊びにいくこともない。
それが普通だったから、苦痛でもなかった。
家にお金はいれた。
母は助かる!と喜んでた。
貧乏長かったからやっと働き手が、増えたって思っただろうな。
中学卒業から一年くらいして、中学時代のクラスメイトに会った。というか見かけた。
制服着て、ルーズソックスとか履いて、めっちゃ可愛いんだよ。友達ときゃっきゃしながら歩いてて、彼氏がーとか。
手にはブランドの財布とかね。バイトもせずに毎日喋って遊んで
私は貰い物の服で、ルーズソックスなんて履いたことない。
バイト先にはパートのおばちゃんばっかりで友達もいないし、大人にまじって働いてるうちに大人みたいにしてないといけない義務にかられて、親になにか買ってもらうとかなくなってた。お菓子すら。
恥ずかしいと思ってた。16歳の分際でw
なんか、ぷつっと切れた。
あれ、私はなにしてるんだ?って。
なんで、私は友達がいないの?制服着てないの?彼氏とか出来てもおかしくないよね?なんであの子がブランドの財布もってるのに、私は100均なの?
こんなに頑張ってるのに負けてる!って思ってしまった。
自業自得なのに、何言ってるんだか。
その時の私は、大人ぶってても中身はガキだった。
父親がいないから。貧乏だから。きいにいじめられたから。学校行けなかったから。
さっきも書いたとおり発達障害だったので(あとでわかる)、仕事も器用にできてたわけじゃなかった。
なのに、いろんなバイトして、おこられて、時間に追われて…で、脳がオーバーヒートしてしまったみたいでした。
次の日から、バイトにいけなくなった。
電話で、「おばあちゃんが病気で…」とかバレバレの嘘を言って辞めた。
そこから、二年間、なんにもしなかった。
一人部屋なんてない、リビングもないし、母と同じ部屋にいるしかないんだけど
母が家にいる間、ずっと布団をかぶってた。母は毎日仕事に行ってた
母は、時々感情的になって私を罵った。
布団越しに蹴られたりもした。
それでも、なにもできなくなってしまった。いつのまにか、母のせいにしてる部分もあった
それが二年間。
この情景わかるわ
俺にもこんなんあったわ
ひきこもりはこれで終わり。
たいした内容のない部分でした。
なにもしてないからw
ちょっと今から少し落ちます。
他になんかあればお願いします。
書き込みありがとうございます
46~48ですね
更年期まっただなかだね。
ひどいこといっぱいしたし言った
何か読んでていたたまれなくなった。
多感な年頃なのに「ふと・・・」自分が同じ年代と違うって
気が付いて。今までの大人になろうと頑張っていた糸が切れてしまったんだね。。。
なんか優しいなーありがとう。
大人ぶってて、優越感は感じてたんですよ。
お前ら、親にパスタおごれんの?みたいなww
自分から、そう進んでいったから仕方ないね
続き。DV。
引きこもり二年過ぎた頃、母の兄夫妻が、海外から帰って来た。仕事で日本にいなかった。
私の現状を聞いて、義理のおばさんが心配してくれた。子供もいないし、うちでもし気分転換になるなら…と。
おじはあまり乗り気ではなかったようだけど、少し広めの家に住み直すからいいか…と。
今考えれば、やめとけばよかったのかもしれない。
その時の私には、当たり前を強要されることがすごく辛かった。
バイトしてて、
苦手ながらもやっとできたと思ったことが、他人にとっては当たり前の事。
いらっしゃいませって言いながら、人数数えてコップに水を入れる。
運んでる時、他のお客さんに呼ばれたら、少々お待ちください!って言って、
来たお客さんにお水を持って行って、オーダー取りに行く。
オーダーとったら、ホールの片付けしながらキッチンの合図を意識しながらテーブルクロス拭いたりバッシングしたり。
これ、私には無理。書いてたら順序あるからいいけど、オーダー呼ぶ人が増えたらもう無理。トイレどこですかとか言われたら全部忘れる。
周りを見て、落ち着いて、考えて。
何回も言われた。
やってたつもりで、できた!って思ってても、
なんでできないの?って言われる。
当たり前とか誰でもできるとか、やめてほしかった。
ごめん、これは愚痴でした。
おじは、いわゆるエリートで、器用な人だった。
コンビニバイト?そんなもんしてどうする?
ファミレス?そんな事も出来ないのか?
バイトしろ
おばさんも働いてるから家事はお前がしろよ居候
鍋に火をかけながら卵焼く、待ちながら野菜切る、なんでもたつく!
とか。
おじは頭ごなしじゃなく、なんでも自分がやって出来るから言った。間違ってなかった。できない私がおかしいだけで。
おばさんは申し訳なさそうにしてた。でも、おじには逆らえない。間違ってないから。
おじにそんな風に言われて、できたかなって思いながらできなくて…って毎日で辛かったけど、辛いのは私だけじゃなかった。
私は朝から夕方、または昼から夜って時間帯に、近くのスーパーのレジ打ちしてた。
おばさんは夕方には仕事終わるから、私が遅い日はおばさんが食事してくれてたので安心だった。
夜、家に帰ったら、なんか、バチッみたいな、ビシッみたいな音がした。
なんだと思いながら部屋に入ったら、おばさんがよろよろっと壁に持たれてた。正面にはおじがいた。
状況的に、どう考えてもおじさんがおばさんを殴ってた。
びっくりして立ち尽くしてたら、おじさんは私に気付いて部屋に戻って行った。
おばさんに駆け寄ったら、おばさんは私の手をぎゅって握って、大丈夫って言った。そのまま台所に立って、当たり前みたいに家事してた。
私は怖くて何も言えなかった。黙って片づけを手伝った
それからも何度か、おばさんが叩かれるのを見た。
何度か見てると、おじさんは私が気にならなくなったのか、平気でバシバシ叩くようになった。
怒鳴りながらとかじゃなく、無言で、肩とか胸の辺りとかお腹とか。
今までもしてたんだろうなーって思った。おばさんは、「1ちゃんがいれば、しなくなるかと思った」って言ってた。
私は何もできなくて、申し訳ないと思ったけど、なにもしようがなかった
そういうのが、半年ぐらい?多分続いた。
ある日、夜までレジ打ちして、帰ってきたら、おじさんが一人でリビングにいた。
私をにらみつけて、「おばさんはどこだ」って言った。
なんでか帰ってなかったみたいで、もちろんご飯もなくて、おじさんは何もせずにただ座ってた。
私は、ご飯を作るべきなのか、おばさんを探すべきなのかと思ったけど、おじさんはお腹空いてると思ったから慌ててご飯を準備した。
結局、おばさんはそのまま帰ってきてない。
一ヶ月後ぐらいに離婚届が送られてきて、おじさんは当たり前みたいにサインして、役所に持って行った。多分。
その日から、私が標的になった。
夜までのシフトばかりにしていたので、ご飯が作れないとか、残業で少し遅くなると、思い切り殴られた。
おばさんは毎日こんな目にあってたのかなーってかわいそうになったけど、
私が一人ここに残ったら、こんな風になることくらい予想できたはず。
おじさんの標的を残すため、私を呼んだんじゃないかとか、つらくて邪推したりもした。
いまさらごめん、家族に殴られるのってDVって言っていいんだっけ?単なる家庭内暴力だっけ。
>>123
最低だよー。暴行になるんですね、ありがとうございます。
まあ、DV見てたってことで許してください。
おじさんの暴力はひどくなっていったし、要求も多くなった。
その時、おじに住まい代みたいな感じで毎月3万渡してた。それと合わせて、私がご飯作る時は自分で買い物してた。
それを、月に5万入れろっていってきた。
おじさんはけして貧乏ではないので、八つ当たりというか嫌がらせというか、そういうもんだと思う。
了承するしかなかった。
でも、18の女で、出掛けないとはいえ、欲しいものはあった。
服もほしい。携帯も持ってたし、
その頃からストレスで過食気味になってて、お菓子とかなんかいっぱい買ってた。
お金は一気になくなった。
たまに、母から貸してくれとかも言われた。
限界。もう無理。一銭もない。
次の給料日までどうしようか、給料もらったところでどうしようか。
そんな事考えながらぶらぶらしてたら、声をかけられた。
スカウトだった。
繁華街に近い駅だったので、よく見かけてはいたんだけど。
ああいう人って、病んでる人を見つけるスカウター持ってると思うわ。気分がいい時に声かけられた事ないもんw
はじめ、キャバクラのスカウトで…って言うんだよね。
で、興味持ちそうなら、風俗系に引っ張る
。その時の私はそんな手口知らないけど。
いつもならスルーするんだけど、そのスカウトがしつこかったので、なんとなく立ち止まってしまった。
今日体験入店したら、その場でお金もらえるよ
って言われて、やります!って即答してしまった。
気づけば店の中。ドレスを渡されて、着替えたら、店長がにっこり笑って言った。
「ブラジャー外してね」
は?なんで?ドレスのルール?
と思いながら、とりあえず外した。
ばかだよねー。引きこもりでそういう話も友達からも聞けないし。ネットもなかったし。
セクキャバっていうものがあるのを、その日初めて知った。
ここはセクキャバです。
キスしたり、軽いお触りがあります。
お客さんのあそこは生で触っちゃいけません。
着替えてから、そう説明された。
で、
じゃあ、いってらっしゃい!
とホールに出された
正直、風俗の女の子への説明なんて適当です。まあ、嘘はなかったんだけどね。
ホールでは、おっさんはシャツはだけてるし、女の子はおっぱい丸出しだし、ガンガン指で突かれて肩とかがくがく揺れてるお姉さんいるし、
ええええええええええって思いながら、言われた席についた。
真面目すぎるのかパニクってたのか、帰る選択は浮かばなかった
えーっと、はじめまして…?みたいな挨拶したら、すでに酔っ払いで出来上がってるおっさんが抱きついて、思い切りキスされた。
ファーストキスでした。ファーストキスでした!
直後、ドレスのスリットから手を入れられて、パンツずらされて指入れられた
しょじょでした…処女でした…
私は痛さでガッチガチになってるのに、おっさんは感じてるのと勘違いして、ぐっちゃぐちゃに指でいじられた。
もう、なにがなにやらわからなかった。
風俗かーこれが風俗かーって思いながら、おっさんにしがみついて、時間が終わった。
戻って、パンツ見たら血がついてた。
オナニーもしたことなかったんだよ私…
ボーイさんに痛かったって言ったら、ローションを渡された。そういう問題じゃねえ。
でもその日そんなに忙しくなかったこともあって、4時間ぐらい働いた。
精算して、20000万円から6000円引いた額をもらった。とりすぎだろ。
でも、終わってお金を手にしたら、あんなに痛かったのを忘れて、
がんばろう…って思ってしまうもんなんですよ。
日払いって嫌だね。すぐご褒美もらえるからいい事しか思いだせないんだよ。
そこは昼間からあいてるお店だから、スーパーのバイトと同じような時間に家に帰ることができた。
いつも通り、おじさんにご飯をつくって、二人で無言で食べた。
その日は殴られなかったし、お金も持ってるし、いい事ばっかり!とかなんか幸せの沸点が低くなってたなー
それから、スーパーは週一とかになって、セクキャバで週3くらい働いた。
収入は跳ね上がって、自由な時間もできて、はじめて、余裕をもって買い物とかした。すごく幸せだった。
セクキャバで働きはじめ、おじの機嫌を取ることも覚え、なんかペラペラの毎日を過ごしてた。
でも、その頃が一番安定してる気がした。
ある日、おじが帰って来た時、知らない女の子も一緒に入ってきた。
お世辞にも美人ではないけど、今風のギャルみたいな感じ。
あわてて晩御飯をもう一人分用意した。麺類とかじゃなくてよかったなー。
今日から一緒に住むから。
と言われた。
女の子は、もくもくとご飯を食べてた。あんまり私の顔も見なかった。
私に意見する権利はなく、そのままその子の荷物が運び込まれて、同居することになった。
おじの機嫌はよくなって、私が殴られることはそれ以降なかった。
女の子も大丈夫そうだった。
女の子は、最初の印象こそ悪かったけど、そんなに嫌な子ではなかった。
今で言うリア充ってところかな。スナックで出会って、仲良くなって…みたいなところらしい。あんまり深くは聞かなかった。というか、興味なかった。
セクキャバでお金を貯めて、一人暮らししようと思った。
だから、もうここのことはどうでもよかった。
仕事の日数や時間を増やし、おじが寝る頃に帰る日もあった。でも、おじは何も言わなくなった。
お金は貯まった。
でも、仕事はハードで、とにかく痛い。
その痛みにも慣れていけたし、痛くない場所に当てる方法を覚えたりもした。
だって、お金をもらえるから。
反動か、ストレスで過食しては、下剤を飲んだりして出した。吐くことはできなかった。というか、そういうことはまだ知らなかった。
太っていったけどw
でもある日、夜遅くこっそり帰ったら、おじがまだ起きていた。
リビングに入った瞬間
思いっきり殴られた。初めて顔を殴られた。
こんな時間まで!お前は預かってる子だ!なにかあったら俺が何か言われるんだ!言ってみろ!なにしてた!
あー、今日は女の子がいないなー。機嫌悪いんだなー。
冷静にそういうことを考えられるようになってた。
答えないでいると、おじはもう一度、肩を殴った。
私は、
一人暮らしをしようと思って、バイトを増やしたこと。
パチンコ屋でラストまで働いているので、夜中になりましたー。
と、その場で思いついた嘘をついた。
俺の知らんところで、勝手にそんなことを考えやがって!と、もう何発かは足とか殴られた。
足なら大丈夫。あざになってもドレスで隠せる。顔は腫れてるかな。肩は大丈夫かな。暗いからわからないかな
そんなことを考えてた
出て行け。でも、一人暮らしは許さん。実家に帰れ。
おじはそれを絶対に譲らなかった。
なんで一人暮らしがだめなのかわからない。
おじなりに心配だったんだろうか。
私は、わかりましたと答えた。
お金ならある。母親とは仲良くできるだろう。母親に、もう一度笑ってもらおう。
この時、なぜか素直にそう思った。
ここまでで、
DV、知らない女と同居
終わりです。
全部書くのは辛いかもしれない。
長さ的な意味で。精神的には大丈夫なので、なんでも聞いてもらって大丈夫です。
借金地獄、裏切りは、よく考えたら身バレしそうなので省かせてほしいです。ごめんなさい。
>>143
忘れてた。倒産編も危ないかもしれないな…ww
ここは簡単にいかせて。
おじはいわゆる社長だったんだけど、倒産したんだよ。そのまますぎてごめんね。
うまくやってたので、全てなくす事はなかったけど。
でも、借金は綺麗に残ってた。それが借金地獄編。
うちの家も巻き込まれた。
ってかんじ。楽したわけじゃないよ!w
ねー。あんまりいきたくないねー。でも日本にいてもなんにもならないし
もうちょっと後でもいい?
今は仲良しだよ。私は我慢してるけどね。
>>1
海外に行く・・・それが人生
みたいなことがなんか知らんけどむかっ腹立った。
なんか知らんけど日本で砂を噛んで生きてみろ!って思った。
別に俺は苦労してないし、楽に人生送ってきたし、
なんも苦労話はないけどさ。
そう思ったんだからしょうがない。
ちょっと言ってる意味がわからないですねw
海外で一花咲かせるとか言ってないんだなー。
日本じゃだめだ、これからは世界だ!とかそんな気持ちでいくんじゃないよ
引越し資金のはずの数十万を持って、実家に戻った。セクキャバは、遠くなり通えないのでやめました。
母は、私がおじのところでしっかり頑張ってると思ってくれていた。
おじが変わった人なのは、母はよく理解していたのでw
実家に戻って、本当は風俗で働こうと思ってた。
でも、母と一緒にいると、夕飯とか一緒に食べたいし、なるべく一緒の時間をおいておきたかった。
風俗が夜の方が稼げるのはわかってるし、多少の蓄えもあるから大丈夫かなって思って
私はまた、普通の仕事を始めることにした。
中卒なので、なかなか見つからなかったけどね。
ちょっとの貯金があるだけで、なんとなく余裕が持てた。母にも優しくできた
食品販売の仕事をした。
そこそこ大型のお店なんだけど、店員はぜんぜん足りてない。中卒でもなんでもいいってくらいの気持ちになったんだろうなー店長。
その店長は、とにかく怒鳴り散らし、八つ当たりし、自分のミスも平気でバイトに押し付けるようなクズだった。
新人の私は、目の敵にされた。案の定、仕事もできてなかったんだけどね。
毎日、細かく神経質な店長に小言を言われ、嫌味を言われ、私の精神はすり減っていった。
どんどんひどく罵られるようになった
お前は常識がない。目の前に倒れてる人ががいても助けないだろ
みたいな事も言われた。
他のバイトさんとかパートさんはすごく優しいし、むしろ私よりできない子もいた。
えへへ、って笑って済ませられるタイプの子だったけどね
私はそれができなくて、全部すみませんすみませんと謝って、考えて、直した。
それが仕事の正しいスタイルでしょって思ってた。それは今でも変わらないけど
日に日に、私も神経質になっていった。
店長に言われたこと。おじに言われたこと。今までのバイト先で言われたこと。きいに言われたこと。
なぜか、全部が襲いかかってきた。
わけのわからない焦燥感。
時間がない、忙しい、できないってずっと思ってた。自分でもなにがかわからない。
奥歯がかけるぐらい歯を食いしばってたり、身体中に力が入ってることがよくあった。
自分がご飯作らなきゃって思ってたから、電車で20分かかる職場まで自転車で通って帰りにあのスーパーによれば、安く買えるし時間も節約できる。自転車に乗りながら、献立を考えよう。
とか。
最初は、そういうの楽しんでた気がする
でも、それがプレッシャーになった。
お金がない、使いたくない、10キロ先の
スーパーの方が安い。
明日の帰り道、献立が浮かばなかったらどうしよう。
もしお店を出るのが遅れて、母が帰ってくるまでにご飯を作れなかったら…
そんなことで誰が怒るの?ってことを、
怒られる、できなきゃいけない、私はやれるって、意気込んでたというか…なんなんだろう
ひどくなるまでの間、どういう思考回路してたのかわからない。
でも気付いたら、次の日の朝ご飯を前日の夕方から作り始めてた。
間に合わないって、なぜか思った。
夜の22時とかすぎたら、本当に遅刻する!みたいな勢い。
あと、私はご飯を食べられなくなった。
食べてる時間と、材料がもったいなかった。
私が食べる分を、母にあげよう。ってなぜか思った。
たとえば最初は、「ちょっとだけカレー多めに入れてあげよ☆」くらいが、
だんだんとその割合がおかしくなった。
母には普通のお皿でカレーよそって、私は子供用のお茶碗でカレー作るみたいな。
すぐ食べ終わるから、すぐ片付けて、翌日の準備ができるから。って。
母は、ダイエットしてるの?くらいの反応しかなかった。まあ年頃だし、そんな感覚だよね。
私も、ダイエットにもなっていいかなーとか思ってた…気がする
正直、この頃は記憶がぐちゃぐちゃ。
自転車で毎日爆走して、ご飯食べなくなって、もちろん痩せた。
おじのところにいる間、過食がくせになっていたけど、それもなくなり、
痩せたねー綺麗になったねーって言われて、認めてもらえた気がした。
痩せたら褒めてもらえる
中卒で、仕事もできなくて、友達もいない私が、
痩せただけで、みんなが羨んできた。
いいなーどうしたらそんなに痩せれるの?
って。
痩せればいいんだ。誰よりも細くなればいいんだ。みんなが私を見てくれるんだ。
正直、この頃はナンパとかもめちゃくちゃされて、有頂天だった。
痩せよう
それがいつの間にか、一番の目的になった。
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