夏だし自分より年下の不気味な母親について話したい
父の口からそれを聞いたとき、思わず鼻で笑ってしまった。
つまらない冗談だと思った。
それが本当のことだと、私が知ったのは今から半年前だ。
夏には眠れない夜が、ふと訪れたりする。
そして、そんな日は怖い話を聞いたり話したくなったりする。
今日がまさにそんな日だ。
怖い話が聞きたいって人は、よかったら私の話につきあってほしい。
2: 名無しさん@おーぷん 2014/07/29(火)23:40:45 ID:Dcjh0tQNZ
3: 名無しさん@おーぷん 2014/07/29(火)23:42:54 ID:kNh0mpNg5
だから今でもすこし酔ってるけど、話すのに支障はないと思う。
後輩にも『母親』とそれに関係することを話をした。
「俺でよかったら、いくでも話聞きますよ」
気立てのいい後輩はそう言って、グラスをかかげた。
店員にすすめられたカクテルに口をつけたあと、
私は私の年下の母親について、後輩に語った。
5: 名無しさん@おーぷん 2014/07/29(火)23:45:26 ID:daWbRSE41
6: 名無しさん@おーぷん 2014/07/29(火)23:47:51 ID:kNh0mpNg5
もちろん、その場には父もいた。
「どうもはじめまして」
私の母親になる女が頭をさげる。
明るい髪が肩からすべりおちて、甘ったるいにおいがした。
その女の見てくれは、いかにも女子大生といった感じだった。
「先生から話は聞いてます。私はカホって言います」
先生……父のことだ。私の父は大学教授をしていた。
だけどお前の母親になる女性だ。
最初は戸惑うこともあるだろうが、大丈夫。すぐ慣れるさ」
私はなにも言えなかった。
カホという女が理解できなかった。
なぜこの女は、こんなろくでもない父親と結婚したいと思うのか。
このことに関しては、今でも知らない。
そして、一生知ることもないと思う。
母と父の関係は、はっきり言って最悪だった。
ふたりが家にいるだけで空気は張りつめ、肌に突き刺さった
父と母が口をきくのは、口論のときだけ。
母の死が悲しかったのはまちがいない。
だけど安心もしていた。
住人がひとり欠けたことで、私の家は平穏になったのだから。
もっとも。私の家は新しい母親によって、ゆがんでいくことになる。
洗濯機にふたりの下着がまとめて入ってたりしたし
喫茶店で会ってから一週間後には、カホは我が家に住むようになった。
「最近はユイちゃんの味の好みもわかってきたつもりだけど、どう?」
カホの質問に私は「うん」とだけ答えた。
カホがこの家で寝泊りするようになって一ヶ月。
このわずかな期間に彼女は、私の好みを正確に把握していた。
私の予想とは裏腹に、彼女は良妻と言っていい働きをしていた。
家事はきちんとやるし、気配りも申し分ない。
大学生活と主婦業をきちんと両立させていた。
「本当に? なんだか歯切れが悪いけど」
カホの言葉に私は首をふるだけで答えた。
「お父さんもいっしょにご飯、食べればいいのにね」とカホが言った。
父は私たちと食事をしないことがよくあった。
正直、私には父のことなんてどうでもよかった。
昔は仲のいい親子だったと思う。
だけど、気づくと私と父の関係はいびつなものになっていた。
「どうして?」と私が聞くと、カホはこう答えた。
「だって、私たちは家族でしょ?」
「家族?」
「ちがうの? 私、なにか変なこと言ったかな?」
無性に反論したくなったが、言葉は出てこなかった。
ほんまや、ほんまや
「まだあの人とは結婚してないから、正確には家族ではないけど」
カホが私の顔を見る。なぜかゾクッとした。
「いずれは家族になる。あなたともね」
「……あなたは私よりも年下なんだよ? なにも思わないの?」
「ちょっと特殊かもね。でも、それになにか問題が?」
「想像してよ」そう言った私の声はふるえていた。
「母親が自分より年上の、娘のきもちを」
「奇妙に感じるかもね。でもそれも、ひとつの家族のかたちでしょ?」
「そんな簡単な言葉ですまさないで」
カホと同居するようになってから、はじめて私は本音を口にした。
大抵解決する
あんなおっさんと結婚しようなんて、本気で考えてんの?」
カホの表情がわずかにくもった。
「年齢だって三十は離れてるでしょ。どう考えたっておかしいじゃない」
なぜこんなに彼女に突っかかるのか。
自分でも不思議だった。
でも彼女と同じ空間にいてはいけない、本能がそう言っていた。
「だいたい。家族やまわりの人たちは、このこと知ってるの?」
「家族はいない」レミが目をふせた。
家族がいない。その一言で、私は次の言葉を見失ってしまった。
「あなたもおかしいって自覚はあるんでしょ?」
「……」
「だから誰にも言えない。私の言ってること、まちがってる?」
カホが押しだまる。
「そうね、ユイちゃんにはわからないだろうね」
「わかりたくもないね」
私は席を立った。
料理はまだ残っていたけど、食欲は完全に消え失せていた。
部屋を出る直前に背後で「おやすみ」と聞こえたが
扉をしめてそれをさえぎった。
この日はさっさとベッドで寝て、最悪な夜を短くした。
すくなくともカホは、私の中で非常識な女で終わっていたから。
その認識がまちがっていたと気づいたのは、次の日からだった。
満足に眠れなかった私は、寝ぼけたまま一階へおりた。
リビングに入ろうとドアを開けたら、カホが扉の前にいた。
思わず出そうになった声を、なんとか飲みこむ。
「おはよう」
私はカホを無視して、そのまま彼女を横切ろうとした。
だけどカホに腕をつかまれて、とまらざるをえなかった。
「おはよう、ユイちゃん」
カホがにっこりと笑った。
昨日のことなど、まるでなかったように。
「おはよう」とさらにもう一度、彼女が言う。
おはよう、とまたくりかえす。
本気でこの女がなにを考えているのか、想像できなかった。
「おはよう」
声の調子も表情も、なにひとつ変わらない。
私は無意識に息をのんでいた。
「おはよう」
「……」
「おはよう」
私は気づいたらあいさつを返していた。
「おはよう」
「今日もいい天気だね。あっ、冷蔵庫にサラダあるから食べるんだよ」
カホはもう一度にっこり笑って言った。
「じゃあ『お母さん』は大学、行ってくるから」
「ご飯を食べるときは、いっしょにいただきますをしようね。
『お母さん』より先に食べたらダメだよ」
「洗濯機にものを入れるときは、下着や靴下はべつべつで洗うって言ったでしょ?」
「床にものは置いちゃダメだよ。 この前も『お母さん』言ったよね?」
小言が増えただけのように思えるけど、それは誤解だ。
最初のころは、意地になって私はカホの言葉を無視しつづけた。
普通の人間だったら、あるていど無視されれば
怒ったりあきらめたりするはず。
だけど彼女はちがった。
一文一句、完全に同じことを。同じ調子で。
一度、根比べのつもりで彼女の言葉をずっと無視した。
だけど一時間経過しても、彼女は同じ言葉を繰り返しつづけた。
最後には私が根負けして、彼女の言葉にしたがった。
そして今も。
「使わないコンセントはぬいて。前にもそう言ったよね?」
「……」
「使わないコンセントはぬいて。前にもそう言ったよね?」
いつもの笑顔で、同じ言葉を吐きつづけるカホ。
我慢の限界だった。
気づいたときには、私は彼女の言葉をさえぎるように叫んでいた。
注意するなら普通に注意すればいいじゃない!?
なんでそんな同じことをずっと言っていられるわけ!?
頭おかしいんじゃないの!?」
みっともなく声は震えていた。カホの唇が止まる。
「私に構う暇があるなら、あの人の面倒を見ればいいでしょ!?」
言葉は吐き出すほど不安に変わって、私にのしかかっていく。
必死でカホをにらむ。
私の叫びなど聞こえていないかのようだった。
カホの笑顔は微塵も崩れることはなかった。
そして。
「使わないコンセントはぬいて。そう言ったよね?」
カホは言った。さっきと寸分変わらないトーンと微笑みで。
/ つ⊂ \
私はリビングを飛び出して自分の部屋へと逃げた。
扉を勢いよく閉めて、鍵をかけた。
布団へと潜りこんで耳を塞ぐ。
「お母さん……!」
私は祈るようにそうつぶやいた。
扉をノックする音が、耳を塞いでいるのにも関わらず聞こえた。
『使わないコンセントは抜いて。そう言ったよね?』
あの女の声が扉越しに私を追い詰める。
目をきつく閉じる。
なのにまぶたの裏では鮮明に、カホが微笑んでいる。
『使わないコンセントは抜いて。そう言ったよね?』
「……はい。ごめんなさい」
私は声をしぼり出した。
扉のむこうでカホが満足そうに笑った気がした。
これだけおかしかったら、パパンも『うわ、メンヘルやったことやで』って気付いて分かれるんじゃね?
『『お母さん』がどうこう言わなくても、一人でなんでもできるもんね』
はい、と私は反射的に頷く。
『今度は同じことを『お母さん』から注意されちゃダメだよ』
カホが扉からはなれていくのがわかる。
安堵のため息がこぼれた。
それから二ヶ月が経って、カホと父は入籍した。
式はあげなかった。
私は家のことについて考えるのをやめた。
そして。
カホの異常は父にまでおよぶことになる。
建設的なことを言うな!
私はカホの異常性が、父にまでおよんでいたことを知る。
このころの私はカホの言うことを、素直に聞いていた。
そうすることでやりすごしていた。
この日は仕事がやすみで夜遅くに帰宅した。
『なんだカホ。俺がなにかしたのか?』
ブーツを脱ごうとしたときだった。
父の声がリビングの扉越しに聞こえてきて、私は手を止めた。
『なにを怒っているの?』
カホの声は父のそれとは対照的に淡々としていた。
『お前こそなんなんだ? 俺がなにかしたのか?』
『言ってる意味がわからないよ。
お風呂入ったら、って言っただけじゃない』
そこでふたりの会話がとまる。
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