もうすぐ海外に売られる予定
身長163センチ
もともと、58キロとかのぽちゃ気味?の健康的な感じ。
それが、半年で45キロになった。
ちょっと痩せてるほう。モデル体重とかいうやつ。
そこまでなってしまうと、今度は太るのがこわい。
太った?って言われるのが怖い
一gも増やしちゃいけない。
半日に一回、体重を測るようになって、減ってなければ汗をかいたりトイレ行くたびに測ったりして、測るたびに体重が減らすことだけが生き甲斐みたいになっていた
晩御飯もお弁当も、母には普通に用意した。
私は、夜は野菜しか入ってないお味噌汁。
お弁当は、スプーンいっぱいのお米をおかゆにして飲んでた。
それで、お腹いっぱいになるような体。
一ヶ月後、40キロ。ジーパンは25インチが大きめなぐらい。めまいがする。ふくらはぎが重くかんじる。
35キロ。SSサイズがぶかぶか。寝起きは毎日、ふすまにぶち当たったwふらふら。湯船に浸かると5分でのぼせたw
母が病院に行けといった。
私も気付いてた。
これは摂食障害。
異常な行為なんだって。
変なところだけど今日は寝る。
時刻見てもらったらわかるんだけど、私2時間しか寝てないんだ。
つれーわー2時間しか寝てないからつれーわーwww
さすがに体調崩しそうなので。
明日もスレ残ってますようにw
しえんとか、よんでるとか、ありがとうございます。
早すぎる保守!
明日から俺も頑張るわー!
長くなっていいから最後まで聞きたいわ
その頃、心理学の本とかが好きでよく読んでた。
それに精神病の事なんかも書いてあって、
ボーダーとか自己愛性とかそんなのの区別だったりが面白く感じてたんだけど、
鬱とか強迫性障害とか共依存とか、
いくつか私これだなって自覚できるものがあったりした。
発達障害もその時に知った。
診断されたわけではないけど、なんとなく確信もあって、
それがなければこんな不器用な人生にはならなかったんじゃないかとか思ったりしてた。
母親世代は、どうしても’精神科’には抵抗があるようで、
’心療内科’にいったらどうかと言ってきたけど、その頃読んでた本に、心療内科には行くなみたいなことが書いてあってw
真に受けて、精神科じゃないといけないと思った。
実際、それで良かったと思う
でもいくつも病院を選びながら行くような気力はなくて、母が知り合いに聞いたとかって病院に行くことにした。
とは言っても、母は他人に「うちの子が病気で」なんて言える人じゃない。多分、その知り合いの身内がそこに通ってて…とかの話を聞いたくらいだとら思うんだけど。
家から遠かった。バスで45分ぐらい。近くだと、誰かに会うかもしれないし、その方がよかった。母も、そう考えてたと思う。
そういう病院は始めてだし、良いか悪いかなんてわからないけど、先生はすごく丁寧で、こちらの知りたいことをきちんと教えてくれた。
それまでに読んでた本の中に、
医師は、特定の病名をつけると患者がそれに囚われすぎ、思い込みで抜け出せなくなる事があるから、言わないようにしている
とか見てたから、その先生には
「私はなんなんですか?」と聞いた。
曖昧にされるのはすごく嫌だった。
鬱です、と言われたところで、
じゃあ鬱を治すためにどうすればいいのかなんて考える気力もないし、思い込むも
なにもそれに違いないんだからどうしようもないだろうと思ってた
自分が今、どんな状態なのか教えて欲しかった。
本当に病気なのか、もしかしてただの甘えなのか、とにかく答えがほしかった。
「鬱は定義が難しいから、断言するのは僕にはできませんwでも、あなたがしんどいことは間違いない。なら、そういう治療をしていきたい。発達障害のテストもしていきましょう」
こうして書くと、無責任な印象もあるかもしれないけど、私にとってはすごく救われた。
当たり前ができない事が悪いと思っていたけど、当たり前ができないことは辛い事だって、口先だけでもわかってくれたことが嬉しかった
一通り話を聞いてくれた先生は、なんか色んな図?を書いて、家族構成の母親のところをぐるっと丸で囲んだ
「それから、拒食症といえば拒食症かもしれない。…でも僕は、’共依存’が大きく関係してると思う」
と言った。
私は、共依存の定義はいまだによくわからない。
お互いがお互いを求めすぎる事なんだと思ってたし、
どちらかと言えば、その時は私が一方的に母に尽くしているだけだし…。
先生の説明は、こんな感じ。
母が美味しいものをたくさん食べる、喜ぶ、幸せを感じる
それを見て私は、<私も同じ>と思うんだそうだ。
10の幸せがある。
母に8の幸せを与える。私は2をもらう。
でも、無意識の中で私は母とくっついている(一つになってる)から、
<合わせて10だから、問題なし>
って思考になってるらしい。
わかりにくいなーごめんなさい。
「じゃあ、母が幸せじゃなくなったら、私は幸せになるんですか?」
先生の説明を聞いている時、頭の中で、私と母が天秤に乗ってるみたいなイメージが出来た。
私が幸せになれば、私のお皿に重みが増える。
母は不幸になり、軽くなる。
私が母に幸せを分け与える。母のお皿が重くなる
一つの器に入ってる水を、二人が一つずつ持ってる入れ物に分けて行くんだと思った。
それで、バランスが取れるようにすることが普通になることなんだって思った。
先生は「そうじゃない。どうして、自分の幸せとお母さんの幸せが同じだと思うの?」と言った。
どうして?どうしてもなにも、それが普通じゃないの?
と、意味がわからなかった
私の幸せは私の幸せで用意されている
母の幸せは母の幸せでちゃんと用意されている。
だから、あなたはあなたの幸せを自分のものにすればいい。
母を幸せにしてあげたい気持ちはすごくいい事だけど、自分の幸せを減らしてまでなんで母に渡そうとする必要はないし、そんな事は出来ないよ
そんな感じのことを言われた
「でも、母が不幸なら私は不幸だし、私がつらいと母も辛そうです」
そう言ったら、
「あなたが辛い時にお母さんも辛くなる、それであなたの辛さは減りますか?減らないでしょ?おかあさんも同じだよ」
と返された。
当時、眠れないこともよくあったので、それも相談すると、
神経質になり、脳が眠れない事と、
痩せすぎて体力がなくなってるせいだと言われた。寝るにも体力使うらしい。
軽めの睡眠導入剤をもらい、帰路についた。
帰りのバスは、少しだけ気持ちが楽だった。
人に話せたことがよかったのかもしれない。
気持ちは楽でも、体はバスの揺れに耐えきれず、優先席に座って目を閉じた。
何日も一睡もできなかったりすることがよくあったしその日もそんなんだったと思う。安心したせいか、すこしうとうとできた。
しばらくして、近くで怒鳴り声?みたいなのが聞こえて目を開けた。
その路線はすごく混んでる路線で、平日の昼間だから年配の人が多い。
見た目は健常、しかも若い私が優先席に座っているのは、確かに非常識に見えたと思う。
「最近の若いやつは何を考えている。平気な顔で優先席に座りやがって。特に女!立っておとなしくしておけばいいものを…」みたいな事を言ってた
私の周りは、年配とは言わないまでも、中年のサラリーマンとか、主婦とか。
私のせいでまた…って、一気に気分が落ちた。
鬱の時って、本当に些細なことが大ダメージになる。
でも、どうぞと席を立つ気にもなれない。開き直って聞こえないふりをするのもきびしい。
膝に乗せてる鞄に顔を埋めて、その時間を過ごした。
みんな、私のことクズだと思ってるだろうなーって考えながら。
ただもしあの時立ってても、吊革握る力もなくてブレーキの度にこけてたと思うよw
店長は相変わらず私にきつかったけど、バイトパートの人たちは、腫れ物を触るような扱いをしてきた。
そら、毎日見る度に痩せてく女は怖いと思うw
お菓子くれようとして、「食べ………ないよね」みたいなw
私はそれがなんか嫌だった。
向こうはもちろん、気を使ってくれてたのはわかってる
でも、そんな体で食べるわけないよね、って言われてる気分だった。
だからって食べろって言われても嫌だった。
どうしろっていうんだと思われると思うけどw
食の話をしたくなかった。
食べることも食べないことも、私の中では罰だった。
食べたら太る、食べないのはまた痩せて苦しくなる
でも、仕事で怒られたりした日には、
私はまた駄目だった。今日は食事抜きにしよう。
とか考えてた。そんな状態でも、自転車で職場までいって、母のご飯だけは作ってた。
すっかり年齢とかの話を忘れてたけど、これが二十歳の頃。
母は、私にイラついてるというか、もどかしさを感じていたと思う。
母に共依存の話はしていなかったから、
「拒食症なんて、思春期の病気でしょう?成人になって何をしてるの?」みたいな事を言われたことがある。
何やってるんだろうねーって頭の中で返事してた。
眠剤でふらふらで、抗うつ剤飲んでも駄目で、お金ばっかりなくなっていった。
その頃はお薬4種類くらいだったと思うんだけど、月に一万円近くそこに使うことになってた。その他は母に渡してたけど。
その時はさすがに服が欲しいとかもなかったし、携帯はネットするぐらいでパケ放題だしw
経済的には貢献してたんだけどねー。さすがに、ずーっと暗い顔して、いきなり泣き出す娘と同じ部屋はストレスたまるよね。
でも、私の成人式のために、晴れ着を知り合いから安く買ってきてくれたり、
スープばっかり飲んでたから、そこに入れる粉状の栄養剤買ってくれたり、
愛情はちゃんと、感じてた
そのまま成人式を迎えた。
一人だし、晴れ着きて撮影だけにしようと思ってたんだけど、
成人式の案内がきた頃、一人の子が連絡をしてきてくれた。
きいにいじめられてた頃、ふで箱を落として謝って私が理不尽にきれられた時のCちゃん。
彼女から電話がきた。
Cちゃんとは、中学を卒業してから何度か会った。
家が近所だったこともあるけど、底抜けに明るく、うちの親ともよく話してたので、
なんとなく腐れ縁みたいになってた。
なぜか私が鬱になった頃に久々に連絡がきて、メールでやり取りをたまにしていた。
直接会うことはなかったけど、ちょこちょこ自分の近況を話して、彼女の明るいユーモアに救われたりもしてた。
C「1ちゃん、成人式どうするの?」
1「わからない。晴れ着着て、うろうろする自信がない。帯で窒息するかもしれないしw」
C「わかった。ものすごい腕前の着付け師呼ぼう。苦しくならないようにしてもらおう。それで来てくれるなら私がお金出すwww」
1「いらんww」
C「一緒に行こうよー。私、1ちゃんの振袖姿見たいなー。1ちゃん、いつ死ぬかわからんでしょーw」
1「ちょw」
かなりバシバシ切り込んでくるやつw
私の現在の姿を見てないから、言いやすいのかもしれないけど、それがすごく安心できた。
Cと話してる時は、普通の話ができた。テレビの話とか、漫画の話とか。
当時はそんなものに興味は持てなかったから、そういうものがあるんだよ、と教えてもらう感じだった。
今となるとすごく助かった。
聞いてなかったら、ドラゴンアッシュとか一生存在すら知らなかったとおもうw
同世代のあるあるについていけなかったと思う。
成人式当日、お互い違う美容院で着付けたので、式場近くで待ち合わせをした。
会場近く、人が多すぎるから。
ガリガリに痩せて、顔色も青というか白というか、見るからに病的な私を見られるのは、恥ずかしい気がした。
きいに言われて、いじめの加害者になってた事のある私が。
衣装や髪型も綺麗にして、化粧もしてもらったけど、それでも明らかに異常だった。
でも、着物だと少し体型補整するから、手首さえ出さなければバレないんじゃないかとか、なんか色々考えてた。
待ち合わせに先についたのは私だった。
他にも何人も振袖の子がウロウロしてた。
Cは変わり果てた私に気付くだろうか。
周りの子達のきらびやかな表情に、思わず下を向いた。この後の同窓会の話とか、その場にいない別の友人の話とか。
当たり前に、幸せそうな女の子たちは、とても綺麗だった。
「いたー!」
後ろから声が聞こえて振り返った。
Cだった。Cは小学校の時から、まったく変わってなかった。
C「ひさしぶりー!元気…ではなかったんだっけw」
私「久しぶり。C、変わらなすぎw」
電話で話してたこともあり、違和感なく会話ができた。
昔より、仲良くなれてる気がした。
Cに、よく後ろから私ってわかったねって言ったら、
体型は確かに変わったけど、雰囲気は変わってないからわかる。昔のほわほわしたままだよ。
と言われた。
昔はそうだったっけなー。のんびりしてた方だったかなー。
って、自分でも覚えてない部分をわかってくれてたことが嬉しかった。
会場近く→会場前
でも読んじゃうわー
うちには芸能人が来たりすることもなく、ただ座って市長の話とか聞いて成人式は終了。
式が終わったら、私は早く帰りたかった。誰にも会いたくなかったし、体力も限界だった。
でも、Cは違う。中学高校もちゃんと通って、友人も多かっただろうから、会いたい人はいっぱいいるだろうと思って。
私「C、私は先に帰るから、友達に会っておいでよ。」
C「えー?夜に同窓会あるから別にいい。それより久々なんだから、1と話したい。しんどいなら10分でもいい。」
私「それなら、大丈b…」
C「ごめん嘘。30分以上はほしいです」
私「…わかりましたw」
成人の日は、どこも人が多い。いったんCの家にお邪魔することにした。
久々にCのご両親に会ったけど、覚えてくれてた。
「えらく痩せて…どうしたの…」って、すごく心配されて、あっまいミルクティー出されたw
Cの部屋に行くのは、小学校以来。きい達と何度かお邪魔した気がする。
しんどかったら帯ほどいてあげるからねーとCのお母さんが言ってくれたから、少し気が楽になった。
久々にCと話をした。
小学校の頃の話も。
やっぱりみんな、きいが好きでくっついてたわけじゃなかった。
お互いがお互いをいじめ合ってる時でも、仕方ないって内心感じてた。
きいが怖いのはみんな同じ。
それがあるから、当時のきい以外のクラスメイト達は意外と強い絆が出来ていて、中学高校は仲良くしていたらしい。
やっぱり私も、頑張って中学に行ってれば変わったのかもしれない。
Cは、「本当は1と仲良くしたかったよ」と言った。
なんで?と聞くと、
「覚えてないと思うけど、私が無視されてた時、1がふで箱を落としたんだよねー。その時、謝って一緒に拾ってくれた。あの時、そんな事してくれる人なんていないから、すごく嬉しかった。
きいと一緒にいる時はすごく怖いと思ってたけど、本当はすごくいい人なんだろうなって。1だってあんな事したくなかったんだろうなって思ってた。言えないまま会えなくなってしまったけど」
Cも覚えてたんだと、嬉しくなった。
当時の話をしながら、
あの時はあんなに辛かったことが、今は笑い話になってる。
みんな乗り越えて、普通に暮らしてる。
私の弱さが、今の私を作ってしまっただけ。
でもいつか今の辛いことも、こんな風に笑い話にできるのかなって、
少しだけ、前向きな考えを持つ事ができた。
Cちゃん、まじ天使ですよ。見た目は関根麻里みたいな感じで可愛い。
結局2時間くらい話して、その日は解散した。
家に帰ったら、休みだった母が食事の用意をしてくれてた。
私が固形物をほとんど食べられないからって、数々のスープを作ってのお出迎えだった。
パンプキンとか、おいもとか、ショウガとか、小さい頃によく作ってくれてたのを、いっぱい。
久しぶりに作ったから、昔より美味しくないかもしれないけど。って。
寒い日だったから、ありがたかった。
振袖を脱ぐと、たまらずに寝そべってぐったりした。
重いし締まるし、けっこうきつかった。
でもCの事もあって、気持ちはすごく楽だった。
少し落ち着いてから、日課の体重測定をした。
28キロだった。
30切ったら入院するか?と先生に言われていたので焦った。
朝は30ちょうどだったんだけど。さすがに一日中振袖きてたから、汗とかかいたんだろうね
それまでは減るほど幸せだったのに、その日は不思議と、これ以上はだめ、やめようって思った。
本能が危険を察知したのかもしれないw
部屋着に着替えて、食事した。
母は遠慮がちにすすめてくれてた。いつもなら、いらないって言ってしまうけど、その日はすすめられたものは全部食べた(というか飲んだ)
正直いうと、鬱の時ってなに食べても味がない。
なにを食べても飲んでもコントレックスみたいな感じw重いものがまとわりつくというか…
だから、スープもほとんど味はなかった。
でもいつもより気分が明るいのが自分でも嬉しくて、いつもよりちゃんと食べられてる自分が嬉しくて、
なにより母の手料理が嬉しくて、
美味しい美味しいってずっと言ってた。
お腹いっぱいで苦しかったけど、幸せだった。母も嬉しそうだった。
その日から、水分だけはカロリーを気にせずに飲めるようになった。
砂糖入りとか具入りは飲めなかったけど、野菜ジュースとか牛乳とか、スープから始めて、ぐだぐだに煮込んだお味噌汁くらいなら食べられるようになった。
体重は増えたけど、500g増えるだけでも体が軽くなるような気がした。体力、ほんの少し戻るだけで、本当に楽だった。
気持ちも、上向きになっていった気がしてた
母も、そんな私を見て嬉しそうだったし、このまま良くなってくれれば!っていう気持ちもすごく伝わってきた。
それはプレッシャーに思ったけど、そうなるのも当然だと思ったから、なるべく意識しないように自分のペースで、快復していければと思ってた。
そんなある日、家に来客があった。
おじだった。
おじの会社は、前に書いたように後々倒産するんだけど、その頃はかなり傾いていたようで、機嫌悪いようだった。
多分、じっとしてても落ち着かないみたいで、私と母に会いにきたようだった。
聞いてないけど、あの女の子とはもう終わっていた。
おじは、常日頃から周りを馬鹿にして歩いてるわけではないけど、自分の感覚が全て正しいと思っているような人だから気難しいだけで…
普通にしてれば、普通の人だった。
少なからず、私の事も心配はしてくれているようで、体調は?とか聞いてくれたり、食事の時もスープしか飲まない私にも何も言わなかった。
母の前で私に暴力をふるうこともないし、普通の時間を過ごして帰っていった。
次の日の昼頃、おじから電話があった。
おじから電話なんて滅多にないので、驚いたけど、昨日忘れ物したのかなーとかそんな気持ちで出た。
おじ「昨日は邪魔したね。思ったより元気そうでよかった」
私 「ありがとうございます。最近は少しずつ良くなっては来てます」
おじ「病院に通っていると聞いたが、それは良くない。精神科なんて通うのは、○○○○(よろしくない表現)のすること。母の顔に泥を塗っているとは思わないか?少しでも良くなってきているのなら、すぐにやめなさい」
私 「それは…」
そんなことない、とは言えなかった。
先生に話を聞いてもらう事で少しずつ自分のことがわかってきた。薬を飲んで不安が消えるような気がした。薬がなかったらまだ眠れなかった。
でも、見た目にわからない内側の病気なんて、他人にとってはそんなもんなんだろう。
私はそれから何も言えなくなった。
「とにかく、これ以上、母に迷惑をかけることはするな。母がどれだけお前のせいで苦しんでいるか考えろ。お前がどれだけ、周りを狂わせているか、自覚してくれ」
それだけ言われて、電話は切れた
電話を切って、私は大声で叫んだ。
うわーだったか、あー!とかだったか覚えてないけど、勝手に声が出た。
そのあと、涙が出てきて止まらなくなった
私が母に迷惑をかけてる。
母の顔に泥を塗ってる。
母を苦しめている。
周りを、母を、狂わせてしまった。
やっぱり私は、なにもちゃんと出来てなかった。
できたつもりで、なにもできていなかった。当たり前のことすら、見えてもなかった。
頓服でもらっていた抗不安薬を飲む気にも
ならなかった。
ただただ泣いた。
母は仕事だったので、部屋にある自分の本やノートをびりびりに破いた。
机に頭をぶつけた。何度も。
頭を振ってふらふらして、机の上におでこをつけてまた泣いた。
やっぱり私は駄目だった。
せっかく治りかけても、本当のことを言われただけでこんな風になってしまう。
治ったってこのまま私は変われない
きっと、治らない
泣きながら、ずっとそんなこと考えてた
しばらくぼーっとしたり泣いたりして落ち着いた。
もうだめだって思った。
抗不安薬をやっと飲んで、落ち着こうとしたけど駄目だった。
死にたい
それしか考えられなくなった。
ずっと死にたかった。でも怖かった。
残るものがなにかあるんじゃないかと思った。
でも、生きていても迷惑なら。邪魔なら。
死ねば、これ以上の迷惑はかけない。
抗不安薬に続いて、睡眠薬を飲んだ。
4日後くらいに通院の予定だったから、残りはあんまりなかったけど、とりあえずある分飲んだ。
抗鬱剤は飲まなかった。
アッパーかかって、死ぬ気なくなるのが嫌だから。
家にある刃物なんて、包丁かカミソリくらいしかない。
でも、包丁は高いから、母がこの先使えなくなると可哀想だしなって思ってやめた。
傷が浅くなるとは思ったけど、リストカットに使ってたカミソリを使うことにした。
その頃、少しずつリストカットを始めてた。
まだびびりながらうっすら切ってたくらいだったので、メンヘラごっこに近かったかもしれない。痛いの嫌いだから、生きるためのリストカットなんて意味がわからなかった。
跡が残るくらいの傷は作らない。
深く切る時は死ぬ時だろうなって、変な分け方をしてた。
薬が効き始めてたので、洗面所に座った。
最初は、手首のシワの辺りをなぞるように切った。
ここ切るのが一番オーソドックスだろうってw
でも、一本のカミソリ傷なんかじゃ、死ねないことぐらいわかってた。
続けて、手首の青い血管の浮いてる部分を切った。
今度は最初よりぐっと力を込めて刃を押し込んだ
もう一本、もう一本、って、手首か、肘に向けて、柔らかい部分を何十本も切った。
血はじわじわ出てくる。
そのうち、腕をしたたって正座してる太ももにぽたぽた落ちた。
薬のせいか、ぼーっとして力が入らなくなったけど、切らなきゃ、まだ死んでないって思ってどんどん切った。
でも、最初の方に切った傷口は血で固まって、それ以上血が出なくなってしまった。
あーだめだ、どうしよう。
思ったより血も出ない。これじゃ死ねない。
カミソリも血なのか皮脂なのか、あんまり切れなくなってくるし。
ぼんやりしながら、
あ、そうだ。縦だ。って思い付いた。
手首から二の腕まで、血管に添うようにしてぐーっと縦に切った。
ここまで切ってきた傷は横だから、十字にしていく感じ。
二度切る部分は、めちゃくちゃ痛かった。
多分、力が入らなくてあまり深くは切れてなかった。
さすがに縦に切ると、すごい量の血が出たけど、周りも既に血だらけだからあんまり驚かなかった。
這うようにお風呂場に行った。湯船には水が張ってあった。
そこに、傷だらけの左腕を突っ込んだ
多分3月ぐらいだったんだけど、すごく、寒かった。水でさらに冷えるし。
お風呂椅子に座り、腕をつけながら壁にもたれた。
頭がクルクルまわってきて、すごく眠くなった。
これはまだ死ぬわけじゃないな、睡眠剤が効いてるだけだな…しかし寒いな。
出血多量って、けっこう難しいよな。
腕切るだけじゃ足りなかったな
本当に死ねるかな
でももう眠くて動けないな
その時は、本当にそれで死ねると思ってたんだよね。
今考えたらかなり難易度高いわ…
そのまま寝たと思う。時間はわからない。
多分ほんの少し。
いきなり腕を掴まれた感覚があって、ぼんやり目を開けた。
母が目の前にいた
いつもならそんな時間に帰ってこないんだけど、その日はたまたま時間の変更があったそうだ。
本当にたまたま。後にも先にもそんなことない。
「……どうしたの?こんな寒いところで。」
母が私の手を引き上げて、タオルで包んだ。
止血する感じでぐーっと押さえてた。
パニックになってる感じじゃなく、冷静に見えた。そんなはずはなかったと思うけど。
「迷惑かけるから死のうと思って……でも、死ねなかった…」
言いながら、涙が止まらなかった。
死ねなかった。こんな姿を母に見せてしまった。
「こんな寒いところにいたら、死にたくもなるねぇ。ほら、部屋入ろう」
抱きかかえるようにして、母に部屋まで運ばれた。
眠剤は効いてるけど、頭が少しずつ動きだして、
どうしよう、死ねなかった。また母の邪魔をした。見られた。
そういえば風呂場の血は大丈夫かな。とか
そんなことを思っていたら、布団に寝かされた。
母は、
「今日は粕汁するよ。栄養取れると思って」と、買ってきたスーパーの袋をガサガサしてたみたいだけど、私はそのまま動けなかった。
頭がぐるぐるぐるぐるしてて気持ち悪かった。
死ねるほどの血なんてなかなか出ないもんだ。もっと計画性を持ってやればよかった。できればこのまま死にたい。
布団をかぶり、そのまま眠ってしまった。
数時間して目が覚めると、母は台所にいた。
熱気と匂いから、粕汁作ってくれてるんだなと思った。
よろよろと立ち上がると、母が気付いてこっちを向いた
「あ、起きた?粕汁、すごく美味しく出来たよー。お椀に入れておいてくれるー?」
私にやらせるのは、私が自分で食べれる分だけを入れられるように。
母が….というか、他人が指定した量、物を、食べられなくなっている私への気遣いだった。
私「うん……ごめんね」
母「え?なにが?」
なにがって…この人は。
私「…馬鹿な事した。ごめん」
母「……うん」
馬鹿なこと。
自分で死を選ぼうとしたのに、死ねなかった途端にそれを馬鹿な事って言って
なんか、とても情けないけど
母に、あんなところを見せてしまったことは、馬鹿なんて言葉では済まないようなことだった。
「お母さんは、そういう事が許せないの。
父親が浮気した時、浮気相手は自殺未遂をした。そんな事をされたら、私はもう何もできなくなる。
あんな人(父)のために死ぬような覚悟も私にはなかったけど、あなたがいたから死にたくなかった。
死ぬ事はいつでもできる。先に死ぬなんて親不孝はやめてほしい」
父親は、私が小さい頃に浮気して、その浮気相手と一緒になったらしい。
慰謝料も養育費もなにも、払われることはなかった。
いきなり放り出された母は、大学生と同じような時給でパートを始めた。
個人商店で働いて、月に手取り11万くらいって言ってた。ボーナスもない
晩御飯の頃には必ず家にいた。朝は、私が学校に行くのを見送ってから仕事に行ってた。
母にとって、それが仕事を選ぶ基準だったんだそうだ。
一緒に過ごす時間は、必ず作れるように。だから、あんな安いお給料のところで。
明日のご飯も食べれるかわからない状態で、母は私を育ててくれた。
名前が変わると可哀想だからと、父親の名字のまましてくれた。母は旧姓を捨てて。
再婚しないの?って聞いたら、
あなたの名前は父親の名字との画数で、最高の運勢になるように決めた。名字が変わったら、それが変わってしまうからしない。
そうやって、私のために全てを捨てて、全てを諦めて、生きてきてくれた。
そんな人を置いて、私は自分が楽になる方法ばっかり探してしまってた。
「ごめんなさい」
また泣きながら、そう言うと、
もういいよ、と言って笑って
「起きるの待ってたからお腹すいた。早く入れて」
とお椀を私に押し付けた。
その日も、いつもよりちゃんとご飯を食べられた。
胸が痛い
翌日、念のために病院に行って(内科)、点滴打って帰ってきた。点滴は太らないのに栄養とれるからいいなーっていつも思う。
私は仕事がたまたま2日ほど休みで、少しゆっくり過ごせた。
仕事には、包帯ぐるぐる巻で行くしかなくなり、嫌だなーと思っていたら、案の定店長に言われた
店長「…その腕はなに?」
私 「…打ち身です」
今までの傷はサポーターとかで隠してたけど、さすがに包帯となると厳しかった
「前から言おうと思ってた。俺のせいでこんなことになっていると言いたそうな顔をして。腕を切って、死ぬポーズをして、見せびらかして。楽しいか?」
他の従業員のいる前で、大声で言われた。
これはまた、駄目なパターン。
また私は弱くなって、また同じことをしてしまう。
「辞めます。お世話になりました」
話の途中で私もそう叫んで、更衣室に走った。
周りから見たら、頭おかしかっただろうなー。
荷物をまとめて、返すものは全部机に置いて、お店をとびだした。
その日、何度もお店から着信があったけど、無視しているうちにおさまった。
数日後、退職届が送られてきた。それを書いて、送り返した。
退職の理由の欄に、「店長と合わないので。人間関係」と書いた。精一杯の抵抗w
数日後、退職届のコピーが、送り返されてきた。
退職の理由は「転職のため」に、書き換えられてた。明らかに字体が違うのに受理されるんだねw
また、無職になってしまった。
報告すると、母は、大丈夫だから、と言ってくれた。
ちょっと休んでいいよって。
罪悪感しかなかった。
でも、限界だった。
それから一ヶ月ほどはのんびり過ごした。
お給料はきちんと振り込まれたから、なんとかなった。
昼間、母のいない間は、不安なような、楽しいような、変な感じだった。
学校をずる休みしてる感じ。
私が学校行ってるときは、途中から罪悪感もなくなってたけどw久々の感覚。
いいとも見て、昼ドラ見て、ワイドショー見て…
気分がいい時は、近所のスーパーまで行って買い物して。
食事が出来ないのは相変わらずだったけど。
ある日、買ってきたジュースを飲んだ。
なんか、すごく美味しく感じたんだよ。
なんだろう。
いつもならコップ半分くらいで、気分的に飲めなくなるんだけど、その日はなんか飲んじゃったんだよね。
紙パック丸々一本だから、一リットルか。
よく入ったよね。
で、飲んだあと、ものすごい罪悪感に襲われた。
カロリーとか、糖分とか、脂肪分とか、なんかもう色々気になって気になって。
トイレに行って、吐こうと思って。
にちゃんで、過食嘔吐のスレ見て、覚えてた吐き方を試した。
水分だけだと、ある程度楽だって見たから、できるだろうと。
結果、できた。
苦しいけど、吐けた。毒が出ていってくれたような感覚。
私は嬉しくて、声をあげて笑った。
汚い話でごめんね
その日から、吐く練習?みたいな感じで、水分飲んでは吐いて….ってしてた。
なんか、おかしくなった。
吐いちゃうから薬もちゃんと規定通りに飲めてなかったはずなのに、どんどん気分が上がっていく。
吐く度に、なんか自分が凄い人に思えてくる。
今から考えると躁転してたのかな。
それか、セントジョーンズワートっていうサプリの飲み合わせ。
抗鬱剤と併せて飲んじゃダメ!絶対!
っていう成分みたい。
流行ってたから飲んじゃってた。とても危険なので真似しないでください。
私みたいになるよ。
まあ、なんらかの具合で吐くこと覚えてしまって、ちょっとずつ、固形のものも食べることが出来るようになった。
少しずつ体重も増えたんだけど、吐けば痩せるって思ってたから気にならなくなった。
実際、
食べる→吐く→下剤
ってしたら、翌日には絶対痩せれた。
最初は、普通にご飯を食べて吐くって状態だったのが、そのうちに
吐くために食べる
に変わっていった。
吐くために食べ物を買って、食べては吐いて、それで喜んでた。
頭おかしいね。ぶっちゃけ今でも続いてるよ…
それを繰り返してると、またお金がない…のループになった。
自分は吐くために甘いものとか大量に食べてるのに、母にもやし料理なんて、出せないから。
なんとか、お金を作らないと。
なんとかしないと。
ネットで、高収入バイトって検索した。
ガテン系、イベント系、居酒屋
が多かった。
希望は、朝昼働いて、夕方には帰りたかった。パートタイム。
でも、もう週5で働く事なんてできないと思った。
でも、中卒ではそんな好条件はなかった。
その他はキャバクラ、スナック。夜だから論外。
普通の求人サイトに載ってるのはそんなくらい。
そこでふと、思い出した。
私、昔は風俗してたんだよね…
検索ワードを、風俗 求人 地元の地名 に変更した。
地元に、風俗行くような男性の知り合いはいなかったから。
風俗の種類ってすごいよね。
セクキャバで働いてはいたけど、その他の業種なんで意識したことなかった。
デリヘルとソープの違いも知らなかったし、店舗型とかホテル型とか待ち合わせとか、意味がわからなかった。
用語説明みたいなの見てたら、気になるワードがあった。
脱がない 舐めない 触らせない
3ないってやつです。
そんな楽なとこがあんの?と見てみると、意外にたくさんあった。
処女の私には、難しいことできない。
フェラも無理だと思った。潔癖性だし。
その時、セクキャバだと男性は脱がないから、男性器も見たことなかったんだよね。
で、吟味して吟味して吟味して
見つけたお店は、素人系のソフトSMのお店だった。
その時の自分の行動力は、今考えてもすごいなーと思う。
電話して、面接希望日聞かれて、今日か明日って答えた。
すぐに行かないと、決心が鈍ると思った。
翌日に、そのお店に面接に行った。
私は、本当に求人内容がこの通りなのかを聞きたかったんだけど、向こうは雇うの前提で話をしてきたので怖かった。
でも、そこはちゃんとしたお店でした。
SMといっても、ムチとかそんなんじゃなくて、
M男が来たら、言葉責めとか焦らしとかでいじめて、相手が自慰をするか、手コキしてあげる
っていうぐらい。
言葉責めも焦らしも、どうしたらいいのかわからないし、帰ったらネットで調べよ…とか思ってたら、面接の人が、
「想像つかない?なら行ってみよっか」と。
いつもフリーで予約する常連が、もう少しで来るとのこと。
それに行ってみよう、とのこと。
少しだけ、考えた。
でも、行けば今日、お金をもらえるんだ。
そしたら、ちょっといいお菓子買って帰ろう。お母さんと食べよう…
そっちに意識を向けて、行く決意をした。
セクキャバだったら、ホールに何人もボーイや他の女の子がいた。
でも、ここはホテルでお客さんと二人きりだ。
お店から近くのホテルだから、何かあれば助けにいくよ、とは言われたけど、
それが信用できるのかなんてわからなかった。
店舗の前でお客さんを待つ。
お客さんが出てきた。
自然と体が動いて、そのおじさんの手を握っていた
「はじめまして、よろしくお願いします…」
行動に、気持ちがついていっていない。予想以上に作った声が出た。
「よろしくねー」
おじさんは常連なだけあって、慣れた様子でホテルまで少し前を歩いた。
部屋に入り、お店にコールする。
名前と部屋番号を告げると、じゃあ○分コースです。お願いします。と返ってきた。
電話を切り、
お客さんに改めて挨拶をする。
客「初めてって聞いたけど?緊張してる?」
私「はい。」
客「そっかー。……で、君はどこまでできるの?」
私「…は?」
客「いや、本当に手コキだけでお金もらうつもり?」
おっさんは当たり前のように服を脱ぎながら、少し偉そうに言った
私「そんなこと言われても、私は求人内容までの仕事しかできませんし、やるつもりもありません。お店からもそう説明されています。」
ソフトサービスのお店にありがちな話。
適当な事を言ってハードサービスを求めるおっさんはよくいる。
騙されちゃう子もいる。
その時の私は、それを知ってたわけじゃない。ただ、生真面目にそう答えただけだった。
するとおっさんは、私をじっと見つめて固まった。
あーやばい?サービス業で言ったらダメな事を言ってしまった?
私も固まってると、
そのおっさんはでれっと表情を崩した
「あー…今の顔いいな…もっと、怖い顔していじめてよ…」
プレイの一環だったそうだ。
そのやり取りに本気で腹が立っていたこともあり、私はそのおっさんの太ももを蹴った
客「……もっと、してください…」
私「嘘ついたくせに要求?生意気。何様?」
次はビンタした。
サラリーマン風のスーツ着てたから、さすがに顔はまずかったかと思ったけど、関係なかったらしい。
慌ててズボンを下ろしたおっさんは、すでにビンビンだった
下着はまだつけたままだったけど、この明るさでそういうのを見るのは初めてだった。
本当に上向くのか…下向いたまま、固くなるだけだと思ってた。
まだだ。まだ、この下着も下ろさなきゃならない。見たくない。気持ち悪い。
でも、やらないと。
私は、それを下着の上から撫でた。
びくっとおっさんが震えて、そこもさらに上を向いた
あー気持ち悪い。
「あ…あの…直接…」
言われて、恐る恐る太ももの方から手を入れる。根元部分に指が届くと、おっさんは大げさに声を上げた
「…きも」
思わず言った事も、おっさんにとってはご褒美らしい。
ますます興奮した様子で、腰を動かしていた。
それを見て、私もなんかスイッチが入った。
根元をぐっと握って、上下に小さく動かす。
どんどん硬くなる。
おっさんは私の腕を掴んで制止した
「いってしまう…」
思わず吹いた
おっさんは、私の腕を引いてベットに誘導した。
ついていくと、おっさんが大の字に寝そべる。
右太ももにまたがり、下着のゴムに手をかけた。
ぐっと引っ張ると、おっさんのそれが出てきた。
あーーーー見ちゃった。なんだこれ。
まじで亀っぽい。亀だこれ。
亀の頭を撫でるみたいに手のひらで触ると、またおっさんが震える
「動くな、鬱陶しい」
そう言って腰の辺りを片手で押さえて撫で続けた。
SMというか、私が興味を持っておっさんの体を弄んでるような構図。
しばらく遊んでると、残り時間15分を知らせるタイマーがなった。
「もう、いかせてください…」
おっさんの言葉に、ついにきたかと思いながらしっかりとそれを握った。
そのまま、さっきの面接での説明写真で見たとおり、ローションをつけて手コキ。
おっさんはすぐいった。
おっさんは、「どっか別のところで女王様してたでしょ?」と、最後まで素人なのを信じてくれなかったw
初の接客で、もしかして天職なんじゃないかと思った。
その日はその一本だけで終わりにした。
次の日から、いっぱい働こうと思ったから。
それから、朝から夕方の時間帯でほぼレギュラーで働いた。
あんまり厳しくないお店だし、マイペースに働いてた。
それでも、行けば夜のレギュラーと同じくらいに稼げるくらいは指名もとれた。
男性経験なくても、こんなことできるんだなー。その時の周りの人は誰も知らないけど。
仕事は順調だった。
たまには怖い目にもあったけど、意外にうまくすり抜けていってた。
お金もそれなりにある、吐けるからご飯もたべられる、仕事にいけばちやほやされる。
今が一番幸せ、今が一番楽しい
そんな風に錯覚してしまってた。
ある意味では間違いではなかったと思うw
その頃、地元を歩いていると、前からなんか見たことのある女の子が歩いてきた。ベビーカーを押してる。
見覚えあるけど思い出せない。どっかスーパーの店員とかかな…と思ってると、相手もこっちに、気づいて手を振ってきた
「…E!」
中学の時、少しだけ仲良くしてた不良のE。
変わらずに明るめの茶髪で、若いママになっていた
Eだとややこしいから、はるかにする。パイレーツのはるかに似てた。顔だけ。貧乳だけどww
はるか「1、久しぶりー!」
私 「うん、はるかも。…はるかの子….だよねぇ」
はるか「他人の子連れてたら問題になるでしょw父親はいないけど」
私「うん、はるかなら別に不思議じゃないねw」
シングルマザーだった。
妻子ある人と不倫して、妊娠したら別れ話をされたと。
それまでにも中絶したことがあるらしく、
今度はもうおろしたくなかったんだと。
はるかの子、可愛かったなー。目がくりくりした可愛い女の子。
その日はもう夕方だったので、また改めて話をしようと連絡先を交換して別れた。
数日後、はるかとランチに出掛けた。
近所の喫茶店に行くぐらいしかないんだけど。
お店に入ると、はるかと、知らない男の子が一緒に入ってきた。
はるか「ごめん、お待たせ」
私 「ああ、うん…えっと。」
はるか「あ、友達なんだけどいい?」
いいもなにも、目の前まで連れてきておいて。
大丈夫、と答えると、その男の子も席に座った。
「いやー、聞いてたとおりです。可愛いですね」
名乗りもせず言った。
チャラい。嫌いなタイプ。見た目はそうでもないんだけどなー…
と思ってると、はるかが「ちょっと!」と男を止めた。
「すみません、僕、○○です。はるかが、久々の友達と会うって言ってたから…」
森山未來みたいな感じだったから森山にする。
森山は、話してみると普通の男の子だった。
2歳年上だったから、その時23くらいだったかな。
ちょっと精神年齢低そうだったけど、悪い人ではなさそうだった
はるかと森山はすごく仲がいいけど、付き合ったりしているわけではないとのこと。
はるかには、新しい恋人がいた。
その人にも何回か会ったけど、ライオンみたいな人だった。
はるかとライオンは、はるかが離婚する前から付き合っていたらしい。とことん…
森山は、元々はライオンの友達だったらしい。何回か会ううちに意気投合し、仕事で忙しいライオンと会えない時に、フリーターの森山と会う事も多くなっていったと。
ライオンが浮気してないか見張ったり、子供好きな森山がはるかの子供と遊んだり、うまくやっているようだった。
そうやって話してその日は解散した。森山と連絡先を交換した。
薄々気付いてたけど、はるかはそれが目的だったんだと思う。
森山は私を気にいってくれたようで、よく連絡するようになった。
私は、男といえばお客さんっていう状態だったので、唯一の男友達に、気を許せるようになっていった。
正直、恋愛感情ではなかった。
ただ、そういうものに憧れてただけだった。私だって年頃だし、そういう人がいてもいいでしょって。
間も無く、森山と付き合うようになった。
森山は、性格はチャラいくせに草食系みたいな感じで、キスはするけどそれ以上のことはしてこなかった。
三ヶ月くらい経って、初めて、そういう雰囲気になった。
ちょっと躊躇した。
森山はいい人。優しいし。
でも、恋愛感情はないのに、こんなことしちゃっていいのか。しかも初めてだし。
でも、やってしまえば仕事が楽になるような気がして、
受け入れようと思った。
あんまり覚えてないけど、セクキャバの客よりは優しいかなって程度の愛撫。
下手だったのかな。
あんまり濡れてもなかったと思うけど、怖くてガチガチに体に力入れてたけど、それでも、森山はいれようとした。
痛いんでしょ!?痛いんでしょ!?!
って構えてたんだけど、痛くならない。
あれ?と思って森山を見ると、
「…ごめん、あー…」
萎んだらしい。
私も、相手がお客さんなら必死なんだけど、今はそんな事出来ない。
また今度にしよって言って、その日はそのままいつも通り過ごした。
数日後、はるかと二人で会った。
セクロス出来なかったことを話した。
はるかは、
「そっかー。緊張してたのかな。森山、1の事、すごく好きで大事にしてるって言ってたから」
って言った。言った。言ったんだよ!!
私は、そんなものなのかーって。
純粋に、嬉しかった。
少し、森山の事好きだなーって思った。
それからもしばらく、そんな感じだった。
森山はそれからもキスしたり、時々体も触ってきたけど、やっぱりセクロスすることはなかった。
私もいつも通り仕事してた。
はるかと会った時、また誰か連れてきた。
その子も、中学の同級生だった。メグミに似てた。
そんなに仲がいいわけではなかったけど、顔見れば話すくらいの子だった
はるかとメグミは、二人はずっと付き合いがあったらしい。
それからはよく、三人で会った。
初めて、女同士で遊んだり、服買いに行ったりした。
楽しかったと思う。
でもある日、はるかとメグミが喧嘩した。
二人ともそこそこDQNだから、面倒だった。
私も森山もどっちの味方か、みたいな二人の争いがはじまってた。女だなぁ。
森山は、はるかの味方だった。
わたしはどちらでもよかった。
メグミから電話があって、さらにどうでも良くなった
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