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もうすぐ海外に売られる予定

48: 1 2013/10/14 06:38:06 ID:Axofk/V+0

そういうのが繰り返し続いた。
卒業までの我慢と耐えた。
私以外のクラスメイトも、みんな。
服がださい、他のクラスの子と遊んだ、昨日電話に出なかった
などの、本当にしょうもない理由しかなかった。

大晦日、きいから電話がかかってきた。
「1、来年からはMをいじめるから」
またか…と思った。
なんで?と一応聞くと、
「Mは靴下がださいからきもい」
絶句した。でも、逆らったら……
わかったと返事をして、新学期が来ないように願った。

新学期はもちろん来た。
クラス中が、Mを無視モードだった。
Mは一人で俯いてた。

きいは、「1、Mに、なにしてるの?って聞いてきてwww」

きいは、そういう悪ふざけを考えては私にやらせた。
私は逆らえなくて言いなりになった。
きいに気に入られるように、きつい口調で言うから、よけいにおもしろがってやらせられるようになった。

M「え、え…あの…きいちゃんが….話しても…話してくれない…」
泣きそうな顔、震える声で言った。

私は、ごめんごめんごめんと頭の中で繰り返して、返事もせずにきいの方に戻ろうとした。
すると、きいはニヤニヤしながら、
机を蹴る動作をした。
蹴れってことだった。

もう一度Mに向き直って、机を軽く蹴った。
Mはびくっとなって、私の顔を見た。泣いてた。
私はもう一回、Mの机を蹴って、きいの方を振り返った。
笑い転げてた。
はらわたが煮え繰り返るって感覚は
この時に初めて知った。
私はたまらなくなってMから離れた。
きいは笑いながら、
「なんでもっとしないのー?」と、私の肩をばしばし叩いた
私は無理やり笑いすぎて、どこまで笑っていいのかわからなくなってた

51: 1 2013/10/14 06:56:03 ID:Axofk/V+0

Mを無視するのは、卒業間際まで続いた。
期間としては一番長かった。
回数は私が一番多かったけど…
繰り返されていくうち、どんどんエスカレートしていったから、Mは相当辛かったと思う。
私も命令とはいえ加担してしまってるから罪悪感でいっぱいだった。
Mは、どんどん目の色がなくなっていって、いつも薄ら笑いを浮かべているような状態だった。精神的に、かなりおかしくなってた。

卒業式のリハーサル中、Mが泣き崩れた。同学年全員のいる中で。
つらい、苦しい、やめて、早く卒業したい、と叫んでた。その場で嘔吐し、先生に抱えられて保健室にいった。

もう終わったと思った。
いじめがばれた。怒られる。Mに謝って済む問題じゃなくなっているのは気付いていた。

 

52: 1 2013/10/14 07:05:28 ID:Axofk/V+0

案の定、放課後に職員室に呼ばれた。
担任、学年主任、校長、教頭
私ときい、クラスの女子数名。
お前達がいじめてたのかと問い詰められた。

私は、はいと答えた。
きいの命令で、私がなにか仕掛けることが多かった。Mは私を恨んでいるだろうと。

きいは、答えた
「1さんと一緒に、少し酷いことを言いました。1さんは机を蹴ったりしてました」

私も、他の女子も、驚いてきいを見た。
クラスの女子は、私が命令されてるのを知ってた。
きいは顔を覆っていた。

他の女子も、続けて同じ様に答えた。
ひどいことをしました、みんなと一緒に無視しました、可哀想だけど私もいじめられたくないから言えませんでした。
みんな号泣していた。

私の名前を出したのはきいだけだったかど、それだけで私が主犯かのように先生方には伝わった。
間違いではないかもしれないけど…

そのあと、全員の親に連絡がいった。
Mの親にも。

私は泣きながら、母の迎えを待った。
母は、先生方、Mの親御さんに頭を下げた。
私はなんてことをしたんだろう。母にこんなことをさせてしまった。なにより、Mの人生を狂わせたと。

帰り道、私はまだ泣きながら、母と歩いて帰った。ごめんなさいも言えずにだまっていると、母は言った。

「本当にあなたがしたくてしたの?」
私は何も言えなかった。母は続けた。
「お母さんは、あなたはそんな子じゃないと思う。あなたがいじめられてるんじゃないかと思った事もあった。クラスメイトが目の前にいるのに、あなたが一人離れて歩いてるのを見たことがある。」

たしかに、見られたことがあった。
その時は、たまたまだと言い張った。母はしつこく聞いたけど、私はきいが怖くて本当のことが言えなかった。

 

53: 1 2013/10/14 07:10:42 ID:Axofk/V+0

でも、もう私も限界だった。
母は、見てくれていた。味方だった。

私は、泣きながら母に言った

「きいに言われた。きいがやれって言った。私も、AもBもCも、みんないじめられた。でもきいが怖い。だから…」
言い終わらないうちに、母はわかった、と言った。
仕事帰りだったので自転車を押しながら歩いていたのだけど、颯爽と飛び乗って学校に戻って行った。
私はこの時でも、きいがこわかった。
母がもし本当の事を言ったら、明日から私はどうなるんだろう。

1クラスの狭い狭い世界なのに、小学生にとっては世界の全てだったんだと思う。
私も走って母を負った。門の前に自転車が乗り捨てられていた

 

54: 1 2013/10/14 07:18:03 ID:Axofk/V+0

慌てて職員室に向かうと、母の怒鳴り声が聞こえた。

「あんたらはイジメの犯人見つけたら、それで終わりと思ってるのか!なんでそんなことになったのか、一人一人の話を聞いたのか!
うちの子がしてたことは、Mさんにとって許されない事。謝罪しきれない。一生の傷をつけた。何度でも謝りにいく。
でも担任!あんたはこの一年間、何を見てた?うちの子が仲間外れにされているところを見ていたか?Aさんは人をいじめるような子か?教室でBさんは泣いていなかったか?」

こんな感じのことを叫んでた。
母は人当たりのいい性格なので、参観日などで顔見知りになると、スーパーなんかで見かけても親同士で声をかけたり、私の友達とも仲良くなってしまうような人だった
。私の学校の話もたくさん聞いてくれていた。イジメの話は伏せてたけど、うすうす感じていたのかもしれない。
担任よりも、私達の事を知っていてくれてた。

 

55: 1 2013/10/14 07:27:56 ID:Axofk/V+0

「担任!きいに話をもう一回聞いてください。Mさんにももちろん、全てを話し合うべきです。それがあなたの仕事です。」

そこまで言ったあたりで、今度は担任が泣き出した。
「申し訳ありませんでした。気づいていましたが、何もできませんでした。」

今度は校長やその他の先生方が、母に一斉に謝罪をはじめた。
母は、謝るのは私じゃないでしょう!と、職員室を出て行った。

泣きながらありがとうと言った。
母は、「お母さんは絶対にあんたの味方。なにか理由がないと、そんなことしないと信じてる。お母さんは子育て下手じゃないからね、そんな子は育たないはずよww」
と笑った。
この人じゃなければ、私は生きられなかった。この強さがないと、あんな環境では生き抜けないと思う。

 

56: 1 2013/10/14 07:28:56 ID:Axofk/V+0

それでも私は怖かった。
きいのことがばれる。
母が全てをばらしたことがきいに知られたら、私は…母も危険なんじゃないかとか、そこまで考えていた。

震えながらも、母の言葉に安心して家に帰った。
きいから電話がかかってきた。
きい「もしもし?怒られたねぇwwきい、嘘泣きしたわー。みんな、きいが言ったからって言わんくてよかった!」
向こうでケタケタ笑う声が聞こえて、私は黙り込んだ。
また明日、と電話を切ったけど、母には電話の内容は伝えられなかった
怒り狂うから。、

 

59: 1 2013/10/14 07:37:36 ID:Axofk/V+0

次の日、泣き腫らした顔で学校に行った。
同じく泣き腫らした顔の数人の女子と固まって、よそよそしい挨拶をした。
親に怒られた、とか。
私は母のことは言えずにいた。

きいは、一時間目になってもこなかった。
内心ほっとしていた。
どうか今日は休んでくれますように。

二時間目、廊下から、
痛い!わかったから!とかいう声が聞こえて、バタバタと騒がしく足音が聞こえてきた。

きいと、きいの腕をひっぱるきいの父。

きいは、顔をパンパンに腫らしてやってきた。
泣いてたからじゃない。目の周りは青アザ
、額にガーゼを貼られ、足にも包帯を巻いていた。

きいの父は、すいません、と頭を下げ、きいを教室に押し込んだ。そして帰っていった。見た目も声も話し方も怖いけど、ちゃんとしてる…んだと思うw
後々知った話では、昔は相当なワルだったけど、今は普通にお仕事してます…とのことでした。

きいの席は私の近く。びくびくしていたけど、ガラガラの声で「おはよう」と言われておはよう、と返した。

 

62: 1 2013/10/14 07:45:54 ID:Axofk/V+0

きいは、小さい声で

父親に殴られた、髪を掴まれて机に叩きつけられた、馬乗りになられた時、足に体重がかかって捻挫のようになった、最後には外に放り出された。
朝方まで車の影で少し寝て、母が部屋に入れてくれてから寝たから寝坊した。
それで父親がまた怒って連れてきた。
らしい。

こわすぎワロエナイ。

私の母が言ったことは、伝わっているのかよくわからなかった。
でも、きいは私に対しては特に怒る様子はなかった。

Mはこの日は休んでた。次の日が卒業式。
卒業式には来てくれますようにと、私も、きいはわからないけど、クラスメイトも願ってたと思う。

 

63: 1 2013/10/14 07:57:09 ID:Axofk/V+0

卒業式、母は後で行くからねーと見送ってくれた。

今日が最後、今日で終わり、きいとさよなら、いじめとさよなら、おわりおわりおわり。
嬉しさ半分、本当に終わるのかの不安半分。
学校に着いて、最後の朝礼。

まず、担任は、私達に頭を下げた。

最後の最後で嫌な思い出を作らせてしまい、本当にごめんなさい。許してもらえるまで、頭を下げ続けます。卒業式が終わっても、ずっと
と。
私は、担任がどうにも出来ないことはわかってた。
きいは、すごくうまくやってたから。
問い詰めてもするする逃げていった。それこそ私になすりつけるんじゃないかな。

一人二人と、許す、と手を上げて、私も手を上げた。

みんな手を上げても、きいだけは手を上げなかった。
担任はきいの前に行き、もう一度頭を下げた。

私が、「きいちゃん、もうやめよ?」と、すこし冗談めかして言うと、不満そうに、わかった、と言った。
多分、タイミングがわからなかっただけなんだと思う。

そして、卒業式。時間ギリギリに、Mは来てくれた。
目が合うと、少し微笑んでくれた。

卒業式が終わり、教室に戻る途中、きいが私に耳打ちした。
「お父さんに怒られるから、Mに謝る」

理由があれだけど、私も謝りたかった。

教室に入る前、私ときいとあと何名かで、Mにごめんと言った。
Mは笑って、
ううん、わたしも悪かったから…中学に入っても仲良くしてね!と言った。
その言葉が本心じゃないのはわかってた。
笑顔が、いじめの前とは全然違う。目が笑ってない。
それでも、表面だけでも、そういう風になったことに安心した。これで終わった。全部終わって解放された。やっと、安心して家に帰れた。
私は卑怯でした。

64: 1 2013/10/14 08:03:25 ID:Axofk/V+0

ここから、不登校につながります。

中学に入り、クラス発表に運命がかかっていた。同じ中学だったから。
もしきいと同じなら、自殺しようとか本気で思ってた。
結果、隣のクラスだった。
まだいい、まだ大丈夫…
幸い、小学校3.4年の時に仲良しだった子も同じクラスだった。
楽しい中学ライフになると思ってた。

でも、毎日休み時間にきいはうちのクラスにきた。新しいクラスに馴染めないようだった。
マンモス校だったので3校くらいの生徒が集まる。
環境のちがいの大きい他校の生徒に、きいはペースを乱していたようだった。

わたしは、この時の仲の良かった友人にすべて話した。
もうきいと関わりたくない。話したくない。逃げたい。

そう言うと、友人は快く協力してくれあ。
休み時間ごとに、私を違うクラスに連れて行ってくれた。
休み時間の呪縛から逃れた…

 

68: 1 2013/10/14 10:26:59 ID:Axofk/V+0

クラスを離れて、教室にもいなければ、きいとも顔を合わすことがなくなっていった。
このまま、距離が離れていけば…と、心底願っていた。

ある日の授業中、あまり人の通らない廊下に足音が聞こえたのでそちらを見ると
きいがいた。新しいクラスの友達と一緒だった。私を睨んでいた。

廊下で立ち止まり、授業中のしんとした空気の中できいはこちらに向かって叫んだ
「しね、くず!消えろ!」

教師が廊下を見て、「だれー?」と言うと、2人はそそくさと教室に戻っていった。
多分、トイレとかっていって二人で抜けて出たんだと思う。

私は、また始まったと思った。
いじめから解放されたと思った。
新しい友達ともうまくやってた。クラスのみんなとも馴染んでた。
それも全部きいに壊される。
私は机に突っ伏して動けなくなってしまった。

 

71: 1 2013/10/14 10:35:22 ID:Axofk/V+0

そのまま休み時間になり、友人が教室を出ようと誘ってくれた。
でも私は動けなくて、もたもたしている間にきいがやってきた
「やっといたー。ありえない。なんでいつもいないの?きいが来てあげてるのに」
顔を上げて、小学校の時のような作り笑いできいをみた。
すごく意地悪そうな顔をしていた。

結局、何の用事もなかった。
私の制服の着方がださいとか、持ってる文具が可愛くないとか、自分はこんなにすごいのを持ってるだとか、そんな話をして帰った。
同じクラスの友人は、
「噂以上に痛いやつ。ほっておけばいいのに。」
と言ってくれたけど、何も言えなかった。

それから徐々に、私は学校をズル休みするようになった。
週に一日から、二日連続、一週間丸々休んだこともあった。
親は察したようだけど、クラスも離れてるんだから、気にしなくていいのに….と、私の弱さに少し呆れていた。

そうしてる間に、初めから仲の良かった友人とも距離ができてしまった。
学校に毎日来てた頃みたいに、会えば話す、休み時間も給食も一緒、ってことはなくなった。
きいも、クラスに馴染んだのか、私がいつ来るかわからないので、諦めていったようだった。

 

74: 1 2013/10/14 10:53:29 ID:Axofk/V+0

きいはいなくなったけど、他の友人もいなくなってしまった。
学校に行っても一人、家にいても母は理解してくれない(と思い込んでた)
誰も味方なんていないんだ!
と、厨二さながらの思考になり、どんどん学校に行けなくなった。
学校に行けばみんなと万遍なく話せるし、暗いわけでもなかった。もちろんいじめられたりもしなかった。
でも、学校に行っても一人で移動し、給食も一人で食べる。女の一人行動は、この頃は後ろ指さされる年代だった。
居づらくて、休みがちになった。
いったん家を出て、母が仕事に行った頃に戻り、学校に休みますと連絡したりもした。
1の時は日数で言うと、一年間で三分の一くらいしか出席にしてなかった。

一旦ついたサボりグセはとれなかった。
サボりというか、なにもしない楽さに気づいてしまって。
中2、中3、環境がかわってもそんな感じだった。
新しいクラスになると、心を入れ替えようと思うんだけど、
すでに、学校に来てない人 の認識がついてしまっていて、みんな距離を置かれた。
暗くて学校に来てない子って扱いではなく、そんなんのくせにスカート短くしたりするタイプだったから、どちらかといえば不良系の子達が寄ってくるようになった。

周りから見れば、不登校っていうよりサボりの認識を持たれていたんだと思う。
バリバリヤンキーというよりは、ただ捻くれた子達の仲間に、気付くとなっていた。

私が休んでも何も言わない。
相手が休んでもなにも思わない。
そんな風になっていった。
不良の友人はE。
Eは、学校で有名な不良と付き合ったりしてたけど、E自身はバイク走らせるとかはなくw
タバコ学校で吸ってみたり、髪染めたり先生に歯向かってみたり…
反抗的な子ってくらいの感じ。
Eとは気楽に、お互い楽な関係だった。
私はべったり仲良くしようとは思ってなかったけど。不良にはなりたくない。
そんなんで、中2は過ごした。

中2で出席したのは、20日とかそれくらいだった。早退とか遅刻は出席に、入れてもらえなかったらしい。
一日、朝から学校にいることはほとんどなくなっていた。

 

75: 1 2013/10/14 10:56:54 ID:Axofk/V+0

中3も同じようなもの。
友達も作れず、恋愛もできず、ただ怯えながら過ごした三年間だった。
一人でいることに慣れてしまった三年間だった。

たど、中3にもなれば、きいとはすれ違いざまに挨拶だけできるくらいの関係にはなってた。
きいも落ち着いていったんだとは思う。

だから、後半に学校に行かなかったのは、ただの私の甘えだった。
行かないことに慣れて、そういう学校生活とか集団生活を送る基礎的な部分を放棄してしまった。
高校には進学しなかった。
家計は本当に苦しかったから、アルバイトすると言った。
母は反対したから、受験だけはしたけど、全部白紙で出した。
点数は返ってこないから。
最悪の親不孝だった。

こうして、中卒馬鹿女の基盤が出来上がった。

 

76: 1 2013/10/14 10:57:48 ID:Axofk/V+0

イジメ
不登校

はこれであらかた終わりです。

他、なんか気になることあれば。>>1から選んでもらえれば。

 

78: 名も無き被検体774号+ 2013/10/14 11:02:46 ID:cxqnJGV40
うむ。

 

79: 名も無き被検体774号+ 2013/10/14 11:03:40 ID:dIDYkORv0
じゃ上から順番に引きこもりで
1の文章読みやすくていいわ

 

80: 名も無き被検体774号+ 2013/10/14 11:04:17 ID:+NB1mYeB0
理解ある親のようだけど何でこれだけいろいろ起こってしまったかの考察を

 

82: 1 2013/10/14 11:19:28 ID:Axofk/V+0

>>80
頭は柔らかい親でも、理解しきれないことがいっぱいあるんだろうねー。

後々の話なんだけど、私は軽度発達障害でした。だから普通の事が普通にできなかった。幼稚園くらいまでは賢いとか言われてたけどw物心つくのも早かった。
それも手伝って、母にとってはなに考えてるのかわからない不安とか心配とか、ごちゃ混ぜになったんだろうな