終電を寝過ごしたら不思議な場所についた
182 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/06/18(木) 00:14:12.76 ID:DOY5Ve8u0
今日、俺は珍しく早起きをした。
鳥の鳴く清々しい朝だった。
ねんねこは居酒屋だから朝はゆっくり惰眠を貪っていい。
今も一人と二匹は舌で眠っている。
「さて」
息を一つ吐いて立ち上がる。
ハンモックのベッドに、貸してもらっていたポタン綿を丁寧に畳んで、その隣に服も畳んでおいた。
服の上に、ノスタルジアと、世話になった旨を書いた手紙を置いた。
忘れ物はない。
一年ぶりに着るスーツは肩が狭くて、借り物のように着心地が悪い。
携帯もパソコンもとうに電池は切れて、鞄と一緒に埃をかぶったまま部屋の隅に眠っていた。
ああ俺はすっかり、この世界の住人になってしまっていたのだ。
そう思うと喉が苦しくなった。
息をつく暇もなかった毎日が思い出されて、苦しさを振りほどくように足早に一階へ降りた。
183 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/06/18(木) 00:22:10.83 ID:LMxDOpG8o
お別れをいう時間くらいはもらえたのか
よかったな
184 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/06/18(木) 00:24:55.38 ID:DOY5Ve8u0
カウンターに席が六つと、四人掛けのテーブルが二つ。
ゆっくりとねんねこを見渡した。
『あいなる。ニニノミヤ、歓迎するぜ』
ゴボウ。
俺の名前はお前が決めてくれたんだったな。
『それはこの木の周回だ』
ツガ。
本当に、何から何まで世話になった。
俺がここで過ごした一年は、きちんと周回に刻まれているだろうか。
そして、
「ニニ」
「!」
その時入口の鈴が鳴って、聞きなれた声がした。
「月光タンポポ取ってきたわよん」
白い手には、四本の月光タンポポ。
185 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/06/18(木) 00:36:12.29 ID:DOY5Ve8u0
「一番の寝坊助が今日は早起きだな、ヒヤムギ」
「ニニこそこんな朝早くにどうしたの? うふふ、おかしな恰好」
誰にも言わずに行くつもりだったんだけどな。
この二週間、いつも通り過ごすのに苦労したというのに。
別れを告げると、優しい皆はきっと引きとめてくれるだろう。
そうすればきっと、断腸の思いで選んだ決断が揺らいでしまう。
簡単に。
「ヒヤムギ」
「あらなあに?」
「俺、ちょっと遠くへ行かなきゃならないんだ」
「あらん、そうなの」
「それでざッ……!」
駄目だ泣くな。
後でどれだけでも泣く時間があるんだろう。
今は駄目だ。
二週間せき止め続けた郷愁が俺を襲った。
俺はやっぱり、この世界の住人になってしまっていたのだ。
「お、俺もう、行くな、ヒヤムギ。ツガとゴボウにも、よろしく言っといてなっ。……それじゃっ」
どうしようもなく俺の涙腺はゆるくて、急いで横を通り過ぎようとした。
186 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/06/18(木) 00:45:33.46 ID:DOY5Ve8u0
「ニニ」
そっと差し出されたのは、銀色の花。
茎には光が一つだけ、ぽっちりと溜まっていた。
「ニニの分もあるよん」
「!」
ヒヤムギ。
月光タンポポを取ってきてくれたのはお前だったな。
「ありがとう、……綺麗だな」
「にゅふふ、綺麗じゃ腹は膨らまないぜ」
ヒヤムギは変わらない笑顔で言った。
玄関から差し込んでくる光とその笑顔があまりに眩しくて、俺は直視できなかった。
「じゃ、もう、行くな」
「うふふ、行ってらっしゃい」
気を付けてね。
そんな声を振りほどくように、小走りに『ねんねこ』を出た。
足を速く動かさないと、すぐにぴたりと立ち止まってしまいそうだった。
187 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/06/18(木) 01:11:33.49 ID:DOY5Ve8u0
「間もなく発車でーすだ」
車掌の声と共に電車に乗り込む。
俺の他には、ぽつりぽつりと半透明の人が乗っているだけだ。
ふと上を見れば、広告が釣り下がっている。
『狐尾っぽのコンコン酒(卵あり)』
『聴けばあなたもハリネズミ!【ミャコ銀河楽団】』
換えられたのか、初めからそこにあったのか。
たまらなく懐かしい言葉たちが、胸の中へ染みわたっていくようだった。
「……」
もう戻れない所まで来ると、案外心地よい気分になれた。
どっ、と疲れと眠気が押し寄せてくる。
早起きして支度したもんな。しょうがない。
さっきまで感傷に浸っていた人間は、ふあ、と気の抜けた大あくびをした。
足を組んで、椅子に身体を預ける。
ああ、こんな時何て言うんだったっけ。
「……ねんねこ」
そしてゆっくり目を閉じた。
新宿に着いたら小さな花瓶を買って、そこに銀色のタンポポを活けよう。
あの嘘みたいに綺麗な日々を、少しでも長く見ていたい。
目に焼き付いた光景を思い出しては、未練がましくもそう思うのだ。
発車のアナウンスを聞きながら、俺は深い眠りに落ちていった。
――――§8『そしてまた、ハルワタリの季節』【完】
188 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/06/18(木) 01:26:37.97 ID:LMxDOpG8o
乙
夢はいつか覚めるもの、か
189 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/06/18(木) 01:32:28.31 ID:OpaueNvGO
乙
名前しか出てこなかった、不思議文学者のタップリさんが気になる
どんな人物だったんだろう
191 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/06/18(木) 01:55:38.90 ID:LMxDOpG8o
面白かったよ
どこかの風の分岐点でまた会えるといいな
193 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/06/18(木) 03:54:07.36 ID:EbB1t8fgo
面白かった!
自分だったら、路地裏で猫を撫でる道から行ってみたい
キャラもみんな一癖あってかわいかったし、また読めたら嬉しいな
乙!
194 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/06/19(金) 02:52:12.71 ID:7GufV4MAO
やばい。俺なら完全に帰って来られないな。
いやそもそも辿り着けないのか…
大層乙でした。新たな物語に期待。
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