小学校同士で戦争した話
どうやら無事に立ったので書いていく
20年近く前の話だから
厳密な再現ではないけど
あんまり大きく話を盛ったりはしない
俺は当時小学校4年生だった
事の発端はクラスの友達の家で遊んでいた日
その友達は漫画を描くのがうまかったから
治虫と呼ぶことにする
俺たちがあんまりテレビゲームばっかりやってるもので
治虫のお母さんが痺れを切らし
外で遊んでくるよう俺たちに命じたんだ
その時、治虫は俺に耳打ちした
「うちの母ちゃん、最近マリカーにはまってんだよ」
スーファミを空け渡さなければならなくなった俺たちは
治虫の弟(小1)を連れて外に出かけた
普段外で遊ぶ時と言えば
自転車に乗って学校付近の山に分け入って
種田山頭火的な遊びをするのだが
1年生の治虫弟が居るとそれは出来ない
近くの公園に行くことにしたんだ
そこの公園に行くと時々会う人たちだったので
面識があり、仲は良好だった
俺たちはそれに混ぜてもらって缶蹴りをしていた
ここで隣の小学校について説明を挿ませてもらう
これは俺たちが生まれる前の話だが
俺たちが住んでいた住宅街の近くに
バブル期にマンション群ができた
マンション群全部で1000戸くらいだったろうか
入居家族に子供が居る家庭も多く
小学校のキャパシティが足りなくなった
そこで増設されたのが隣の小学校である
だからその時の名残で
住宅街の子供はA小学校(うちの学校)
マンション群の子供はB小学校(隣の学校)
というように住み分けられており
学区が入り組んでいる地域だった
だから最寄りの公園にもかかわらずそこはB小の学区だった
なんかA小、B小だと面白くないよな
撃壁背水小(うちの小学校)
厚生労働小(隣の小学校)
って風に呼んで行こう
話を本筋に戻す
俺たちはその日
缶蹴りをずっとしており
そろそろ忍たま乱太郎が始まる時間だから解散しようって話になったんだ
その帰り際に厚生労働小の一人が話を持ちかけてきた
「今度、学校対抗でサッカーの試合やろうよ」
そんな話だ
なんのことは無いスポーツレクリエーションである
まさかこれが戦争の口火になんて誰も思ってなかった
撃壁背水小
厚生労働小
何というネーミングセンス・・・
ビール買ってきたので再開します
それから数日後にサッカーの試合は行われた
結果は厚生労働小の勝ち
厚生労働小は少年サッカーチームの練習場所になっており
そのチームに所属している奴が多かったから当然の結果である
因みに少林サッカーではない
バスケチームの練習場所になっている撃壁背水小の得意分野、
バスケの試合をしようという話になった
向うチームもそれを快諾し
俺たちはそのまた数日後バスケの試合をした
結果は撃壁背水小の勝ちだった
テレビゲームをしているよりはるかに健全だし
他の学校との交流ということで
教員や親への受けは良いはずなのだが
多方面から注意を受けたのがその企画のネーミングだった
俺たちは小学生独特のネーミングセンスで
その交流試合のことを『戦争』と呼んでいた
誰が初めに言いだしたのかは分からないし
誰が言い出したのかは大した問題ではない
気付けば両方の小学校でその企画は『戦争』と呼ばれていた
勿論、子供の言うことだし
内容は至って健全なスポーツレクリエーションなので
大人たちは目を瞑っていたのだろう
しかし、ある日事件は起こる
小学生の遊びでやるサッカーを思い出して頂きたいのだが
ファール判定なんていい加減である
見るからに悪質な行為がなければまずファールになんてしない
撃壁背水小と厚生労働小のそれぞれ一人が取っ組み合いのケンカをはじめた
試合は中断して俺たちは止めに入った
本質的に仲が悪いわけではないからね
その時も各小学校同士で敵対なんてしてなくて
みんなで集まってケンカを止めたんだ
ケンカ自体は小学生の取っ組み合いだから
当人同士がかすり傷や打ち身をしたのと
厚生労働小で止めに入った1人が鼻血を出したくらいでおさまった
その鼻血を出した奴はその時は別に怒りもしてなかったし
「このくらい大したことねぇよ」なんて
大人びた態度だったので俺たちは感心していた
彼は名前を付けておいた方がいい
大人びたいい男なので、鼻血氏と呼ぶ
内容は厚生労働小の親からタレこみがあり
子どもたちが撃壁背水小と『戦争』という名目の暴力行為を行っている
怪我をした児童も居るから
暴力行為は行わないように
その時、発起人であり目撃者の俺と治虫
あとケンカの当事者だった1人が
校長と担任に呼び出され話をきかれた
俺たちは
「『戦争』の実態はスポーツの試合であり、暴力行為は誤解である」
「その日、偶然ファール判定でケンカになっただけで暴力はその一件だけ」
であることを主張した
2人の教員もそれを聞いて
「『戦争』というネーミングは改めるようにしてほしい」
「暴力は絶対にやめること」
という軽い注意をしただけでその日は解放された
しかし、その日の裏番組で既に戦争は始まっていた
その日に配られたプリントは
全校児童に向けて配られていたらしい
それを読んだ撃壁背水小の6年生の一人が
「厚生労働小にチクリが居るから成敗する」
みたいな頭のおかしい正義感を発動し
鼻血氏を待ち伏せて殴り飛ばした
そのプリントが発行される原因になったのは
鼻血氏のお母さんだった
鼻血氏が怪我をしたと騒ぎ立て
厚生労働小で配られたプリントには
4年何組の鼻血氏が怪我をしたと書かれていたのを
その6年生がどこからか情報を仕入れて
撃壁背水小の代表として鼻血氏を殴りに行ったらしい
鼻血氏にしてみればいい迷惑でしかない
ちなみに鼻血氏は殴られただけで特に怪我はなく
この6年生は鼻血氏を殴ったときに指の骨を折ったらしい
俺はその話を後日家で母親から聞いてゲラゲラ笑ってたら
親父に殴られた
「人の不幸で笑うな」とのこと
いや、正論だけど殴らなくても…
俺はその時「なぜこの親父の指の骨は折れてくれないのか」なんて思ってた
その次の日
担任からその暴力事件について話をされた
プリントは配られなかったと思う
公務員の隠蔽体質ってのは昔から変わんねぇんだろうな
で、そのまた次の日
今度は撃壁背水小の体育館の窓ガラスが割られていた
その日は警察がくるわで学校はてんやわんやだった
学校は午前で切り上げられ
俺は午後は治虫とテレビゲームをして過ごした
するとその日もまた、治虫のお母さんが
スーファミの占有権の主張を始めたので
俺たちは治虫弟も含め、また公園に出かけた
その時に偶然だが
サッカーの試合を持ちかけてきた厚生労働小の奴に会った
「なんか大変なことになってるよなぁ」
そんな話をしたんだ
その日に『戦争』はしばらくやめようかという話になった
俺たちは全然悪くないし、敵対もしていないのに
スポーツの試合をしているだけで悪者にされてしまいそうだったから
で、その次の日だが
今度は厚生労働小の窓ガラスが割られていたらしい
その日のことは新聞に載ったはずだ
少なくとも地方紙には載っていた
連日小学校のガラスが割られたから
近所のチンピラが夜な夜な割ってるんじゃないかという推測が囁かれていたが
俺たちは何となくお互いの児童がやってるんだろうと当たりをつけていた
面白くなってきたwww
読みやすい
数日後、日曜日だったとおもう
俺たちが初めに缶蹴りをした公園で
小学生同士10数名が投石事件を起こした
つまり雪合戦ならぬ石合戦だ
停めてあった自動車に石が当たって凹んだとか
公園の前の道が石ころだらけになってるとかで
住民から複数の通報があったのだという
俺はその日は治虫とストⅡをやっていた
その日は日曜日だからなのかスーファミを空け渡すことなく済んだ
もしその日も治虫のお母さんにスーファミを取られていたら
俺たちも巻き込まれていた可能性もある
投石事件の犯人はほとんどが両校の6年生だったという噂で
何人かは補導され、何人かは怪我をしたらしい
推測に過ぎないがそれぞれの小学校の窓ガラスを割ったのも
この連中なんだろうと思っている
ちなみに俺たちがやっていたスポーツとしての『戦争』には
両校とも6年生は居なかった
『戦争』参加メンバーは誰も居ない中
勝手にヒートアップしてしていた6年生たちが居たってことだ
両校の校長が雁首揃えて会見してたりとか
色々あったようだけど
俺たちは蚊帳の外
結局その後はスポーツの試合をすることもなくなった
後日談としてはその10年後、成人式だ
撃壁背水小と厚生労働小は学校毎に中学の学区も違うから
その一件以来、厚生労働小の連中とは疎遠になっていたんだ
だけど成人式で『戦争』の発起人や鼻血氏に会い、
それぞれの中学の同窓会が終わった後に
両校の『戦争』メンバーで居酒屋に集まった
20人くらい居て結構楽しい二次会だったな
その時に「また『戦争』できたらいいよな」って話になったのだが
それは今日に至るまで実現されていない
話は以上
読んでくださった方、ありがとうございました
おもしろかったよ。
ありがとう
俺が中核に居たらもっと面白い話にもなったんだろうが…
酒のつまみくらいにしてもらえれば幸いです
6年生アホやな
アホなことするのが小学生だからね
確かにその代は中学で不良グループに入った人も多かった
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