狂った親から逃げられたので自分の人生振り返ってみる
聞いてくれる人がいたらなと思いながら初スレ
20歳 大学生
どこの国とは言わないが、まぁみんな大体察せると思う。
「出でけ」とか「在日」とか、そういうコメントは全て無視する事にする。
ちなみに今は名前も日本の名前だし、帰化もしてる。
自分が生まれた年に父親が職を失う。で、母親の給料だけじゃ生きていけないのに、
仕事探せって言うと父親逆ギレ。ついには父親、わずかな貯金と母親の持ってる宝石とか全部奪って失踪。
その時赤ん坊を抱えて途方に暮れた母親に手を差し伸べたのが母親の社長。
副業で日本への留学生を推薦する仕事をしてたらしい。
金額は日本円300万。ちなみに自分がいた国は当時、10円で缶ジュースが買えるような物価。とんでもない金額だけど、この腐った国から抜け出すのにはそこに行くしかない。母親は親戚中に頭下げてお金借りた。一応、うちの母親、その国ではいい大学行ってたから申請は通った。
で、当時赤ん坊の自分はとなると、母方の祖父母に預けられたってわけ。
ちなみに当時もうすぐ一歳、それから六歳になるまで、一切母親と会った事ないwwww
5歳の時に祖父に「○○(自分の名前)はパパもママもいないのに、どこから来たの?」って聞いて、なぜか怒られたのをすごいよく覚えてる。
日本ってどこ?? お母さんと暮らす?? 誰それ?!?! みたいな状態。
でも子供は大人の言う事聞いてればいいんだよ家庭だったので、それ以上の説明はなしで日本へびゅーん。
祖父母もおかしい思考の持ち主で、学校から家以外どこも行った事ないから、大して友達もいなく、なにも感じなかった。
空港で「お母さんだよー」ってやたら笑顔な女の人と会う。私、祖母の後ろに隠れる、と、途端に不機嫌になった。
帰りの電車に祖父母に母親が「なんでこんなにデブなのよ」って文句言ってた。
まぁ、祖父母の考えが「いっぱい食べる=健康」って思考の持ち主だから、豚でしたよ。外で走らせてもらえないし。
ちなみい祖父母も日本に着いてきた。心配って理由で三ヶ月滞在してた。
なんで覚えてるかって言うと、あの後も頻繁に心配って理由で三ヶ月遊びに来てたからだよ。
当時の中国は公害酷かった?
酷くなかったよ、あんまり覚えてないけど。
ただ小さい時は月1で熱出してたのに、日本来た瞬間になくなったから、
やっぱり汚いじゃないかな
韓国かと思ってたw
ううん、中国の方であってるwww
日本の小学校に入学。
この小学校が今思い返せば神だった。
普通、自分みたいな子がいたら、イジメられるか仲間外れかどっちかなのに、そういう事は一切なかった。
「○○ちゃん、頭は毎日洗わなきゃいけないよ」とか「服は毎日同じの着てると汚いよ」とか
「寒くても服の下にパジャマ着ちゃいけないよ」とか注意してくれて、
直すと「よくなったね」って一緒に喜んでくれるクラスメイトだった。
多分この学校がなかったら、こんなに日本に打ち解けれなかったと思う。
話題逸れるけど、今日本で笑われてる在日とか外人も日本の常識を知らないだけだと思う。
来る前に勉強しとけよって思うけど、なかなか勉強しててもカバー出来ない所あるよ。
まぁ、勉強しない人も多いし。
自分の場合も、もし何も言わずに仲間外れにされてたら、わけが分からなかったと思う。
後、私が日本に来た一か月後になぜか10歳離れた従姉が突然日本にやってきて一緒に住むことになった。
詳しい事は後で言うけど、これが私が母親の親戚をタヒぬ程嫌いな理由。
ちなみにお金なくって、時々くる祖父母、従姉、母、私の五人でワンルームのアパートに住んでた。
祖父母がいる時は豪華なご飯だったけど、いなくなると食パン一枚とかみたいな食生活してた。
うちの国のお年寄りは外国=いい生活だから、多分がっかりさせたくなかったんだと思う。
そんな感じで日本で三年間過ごして9歳になった。
この時、自分で言うのもなんだけど、読書好きだったからか、多分同じ年の日本の子よりも日本語が上手になってた。
その年になって、自分は母親がおかしいんじゃないかって少しずつ気付き始めた。
何かミスするととりあえず体罰。
水こぼしたら、ビンタが飛んでくる。お皿割った時なんて悲劇。私をぶつと自分の手が痛いからって、途中で箸とかハンガーに変更。箸が折れるまで手をぶたれた事もあった。
テストでいい点が取れなかった時も当然体罰。ちなみに母親の良い点=100点
98点取ると100点から引いた二点分、つまり二回ビンタされるという決まりだった。
一番キツイのが「表情が気に入らない」とよく言われる。「反抗的な表情」だからという理由で、よく体罰を受けていた。
おかしいって気付けたのは図書館で見付けた「バースデー」って小説。
母親に改善してほしくって「この本にお母さんのしてる事は虐待って書いてある」って訴えたら、「虐待はご飯をあげない事。あんたはご飯をちゃんと食べてるから虐待じゃない」って言われて、なぜか何も言い返せなかったけどw
ちなみに体罰だけならいいのに、尋問みたいな事もされる。
「どうして自分が悪いのか分かる?」 「どうしてそんな事したの?」
「どうしてお母さん怒ってるか分かる?」
みたいな質問を連発して、3秒以内に答えなければビンタ。
気に入らない返答だった場合は、もっと怒り狂う。
祖父母がいる時は庇ってくれてたけど、「庇ってもらえて嬉しいねー」
とか言われて、さらに酷くなるから、いつの間にか庇ってもらえなくなった。
小4の時に母親に彼氏が出来て、突然母親が丸くなる。
引きこもりになった大学生の娘と小1の娘がいた。
彼氏は母親の前だと優しくしてくれたけど、母親がいなくなると、
私の目の前で小さい娘と遊んで、あからさまに無視してくるクズだった。
ある日、母親が残業で家にいなかった時に、彼氏が来た。
母親に事前に家にあげていいよと言われたから家に上がらせる。
テレビ見てたら、突然彼氏が「○○ちゃん、お父さんとお風呂に入った事ある?」って聞かれて、
「ないよー」って言ったら、「じゃあ、おじさんと入ろうか」って言われた。
なんか断れないような怖い雰囲気だったから、一緒にお風呂に入った。
男の裸見た事ないから、すごい緊張して直視できなかったの覚えてる。
股間部分を思い出そうとするとブラックホールみたいに黒かったことしか思い出せない。
お風呂に入ると、私はなるべく隅っこの方で縮こまっていた。
すると彼氏が「知ってる? 男の人のここって大きくなるんだよ」とか言ってきた。
当時の私は、伝統的な思考の母親の指導の元、一切そういう知識を持ってなかったから
、理解できなかった。
すると「見ててね」と言われて、男が立ち上がって自分のをいじり始めた。
思い出そうとするとブラックホールしか思い出せないけど、
何か見てはいけない物を見てるというのは直観で分かった。
怖くて何も言えなかったんだよね。
これが小4の事件。
ちなみにこの後すぐ、彼氏が口滑らせたか分かんないけど、
この事がバレて、それとパち○こ大好き借金まみれもバレてその彼氏とは別れた。
別れる前に殴り合いっぽい事をしてたのをよく覚えてる。
お風呂事件は「なんでお母さんに言わなかった」という理由で、
お母さんの事を信頼してないからってめちゃくちゃ殴られた。
公園の回るジャングルジムみたいのあるじゃん? あの丸くてクルクル回る遊具。
あれで怪我して、下唇がぱっくり割れちゃったんだよね。
本当に唇が三枚になって、血がダラダラ流れてる感じ。
それで近所の友達のお母さんが病院に連れて行ってくれて、母親も呼んでくれた。
唇を7針くらい縫ったと思う。
それを見た母親の顔がすごい恐ろしくて、これ帰ったらころされるなって瞬時に悟った。
予想通り、帰った瞬間に殴られる。鎮痛剤も「自業自得」って理由で没収。
その時の怒ってた理由が「お母さんに唯一似てる部分を台無しにした」から。
その日初めて知ったけど、どうやら私は性格も外見も父親そっくりで、
唯一口元が母親似らしい。
母親はずっと私を見て、父親を思い出してイライラしていたって事。
さらに言えば、母親の「反抗的な表情」というのが最高に父親に似てるらしいwww
あー、母親って私の事嫌いなんだーって理解したw
元々の能力もあるだろうが読書って大事なんだな
なんかスラスラ読めてワロタ
>>16 >>18
ありがとうww
そこまで似てるなら、父親の所に行こうと思った。
見た事もない人だけど、母親だった6歳の時に初めて会ったようなものだし、
平気でしょうと思った。
「お母さんが私の事見てるだけでイライラするなら、お父さんの所行くよ」って言うと、
母親はニヤニヤして「どうぞ」って言って、電話番号を教えてくれた。
外国の番号だから、これで日本とはお別れかって思いながら父親に電話。
初めて聞く父親の声よりも、この母親から逃げなきゃという気持ちの方が強くて、
特に何も感じなかった。
お父さんと一緒に暮らしたいって言うと「えっと、それは……」とどもってた。
その後に「お父さんは忙しいから、お母さんの言う事をよく聞きなさい。
お母さんは正しいから、じゃあ」みたいな感じで切られた。
母親が尋ねてきたから、言われた内容を告げると
「あんたはもうお母さんしかいないんだよ」って言われた。
その日、自分はいらない子だって自覚して、夜中にトイレに隠れて一人で泣いた。
今まで殴られても絶対泣かなかったのに、涙が止まらなかった。
母親に捨てられたら、自分は生きていけないんだって思うと怖かった。
後で分かった事なんだけど、その時父親は15歳も年下の女を口説くのに必死だったらしい。
そりゃあガキがいたら邪魔だわなwwwwww
続けて(´・ω・`)
差別されないようにって名前も日本のに変えたよ。
よくある日本の男と結婚じゃなくて、これは母親が自力で手にしたもの。
大手企業で通訳やってて収入も高かったからね。こんな人だけど、仕事はバリバリ出来たよ。
その場でお父さんって呼んだら嬉しそうにしてた。
その頃になると、どうやったら大人が喜ぶか大体わかっていたし、
母親に殴られる事も少なくなった。
チビデブはエリートサラリーマンでめちゃくちゃ広い一軒家に住んでて、
母親と二人でそこに引っ越した。ちなみに母親もその頃は貯めたお金でアパート経営始めて、
そこそこの収入があった。
学校も転校して、なんかいじめられたけど、母親にされた事とくらべものにならないから、
普通にスルーしてたら、いつの間にかいじめがなくなって空気扱いにされてた。
母親は前でも述べたけど、学歴大好きみたいな人だから、
自分は中学受験に備えて、塾に行ってたのよ。丁度家の収入も増えたし。
日曜日に塾があったんだけど、ある日曜に定期を入れてた財布を家に忘れて家に戻ったの。
結構ギリギリの時間だったから、遅刻したら怒られるしって思って、こっそり家に入って行ったのよ。
どうせリビングにいるから、さっと部屋にいけばバレないかなって思って。
でもリビングの前通ったら、リビングのドアが開けっ放しで、中でチビと母親が全裸でしてたわけ。
自分はその時も、まったくそういう知識がなかったから、こ
いつら何してんだって思わず固まってしまった。
で、その時に二人に発見されてしまった。
チビ、慌てて寝室に戻る。母親、こっちに全裸でやってきて、とりあえず一発殴られた。
久し振りに殴られて、すごい痛かったの覚えてる。
あの後母親が服着た後に、リビングに引きずり込まれて「何を見たの?
言いなさい! 楽しい? ねぇ、子供がそういうの見て楽しい??」とかずっと聞いてきて、
「何も見てないです。何してたか分からないです」って言っても、
「ウソ吐くな」ってぶたれて、窓ガラスに顔面ぶつけて人生初の鼻血出した。
チビはずっと部屋から出てこなかった。あの後「塾行かせてください。お願いします」って
何度も頭下げて、血だらけの服でそのまま塾に行った。
なんで殴られたか今でも謎なんだよね。本当になんでだろう。
ちなみに性知識は中二の時に、クラスメイトにそういう本を渡されて知った。
それで小4と小6の事件の謎が一気に分かって「なるほどぉ~」ってなったwwwwww
多分妹が生まれた事が大きいかもね。
母親は「やっぱり子供は自分で育てなきゃねー」と日々連発してたのは、徹底的に無視してた。
後で知ったんだけど、母親は本気で悪気無くこういう事を言ってたらしい。
母親いわく「自分もあの頃は大変だったから、その大変な気持ちをお互いで分かち合って
懐かしむつもりの発言」との事です。
自分は私立の中高一貫の女子校に入った。
女子校に入ったのは母親の強い希望。母親はまぁ処女厨みたいなもので、
外には男がいるから襲われるって理由で友達と遊んだ事はなかった。
中二の時に一回だけカラオケに誘われた。どうしても行きたいって頼み込んだら、
英語の教科書50ページ丸暗記して唱えられたらいいよと言われて、
二日で頭に詰め込んで本当に唱えてやった。その時は流石にOKもらえた。
門限五時だったけど楽しかった。
人付き合いは得意だし空気は読める方だから、学校ではそれなりに友達多かったよ。
義理の父親となったチビが、脳腫瘍が発見された日に、夜中に
手術について調べるって言ってエロサイト見て、母親に見付かって
大ゲンカしてるの覚えてるwww
自分は母親が死んだときの事を考えたら、なんかワクワクしてきて
自分で自分が怖かった。
母親が死んだら、アパートが半分私の物で、自由じゃん? むしろ死んだ方が
私的にはいいかもとか、毎日母親の死後を妄想して楽しんでたっていう最低の時期。
女の部分やめちゃくちゃプライベートな部分、デリケートで秘密にしておきたい部分を見られた恥ずかしさが
なんでこんな恥ずかしさを味合わせるんだ!って怒りになったのかも
ごめん、スレ見落としてた。
恥かしいのか、なるほど。
その時まだ結婚してなかったから、邪魔されて捨てられるんじゃないかって
イライラしてたからってずっと思ってたわww
左足に軽い障害が残るって理由で、文化祭の日に一人で早退して、母親
のために障害者の書類みたいなのをもらってきた。
まぁ、障害が軽すぎて結局役に立たなかったけど。
病院で母親を見た時はなんか残念な気持ちになった。
母親は結構アメリカに憧れてたらしくって、一緒に行こうってなってた。
私は英語が苦手科目だったし、本当に親友って呼べる友達もいたから、
あまり乗り気じゃなかったけど、何も言わなかった。
日本来たみたいに、また訳も分からずアメリカに行くのかーって思ってた。
出発は高1の冬で、知らされたのが春とかだったはず。うろ覚えだけど。
それで11月になって、母親から突然言われた。
「ねぇ、あんた整形しない?」
言われた瞬間に、私はもう「???」ってなった。
「もっときれいな方がいいでしょ。鼻も高くして、目もバッチリにした方がいいよ」
って言われて、取りあえず母親に従うというのが本能に染みついてたから、
言われるがままにとりあえず一緒に整形病院みたいな所で相談に行った。
人物と会う。
「どんな風にしたいですか?」って聞いてきた医者に、母親が「私みたいな鼻」
とか「目も私みたいにー」とか連発してて、「あー、この人はやっぱり私の顔が
嫌いなんだ」って悟った。
多分私を自分に似た子供にしたいんだろうなってぼんやり思った。
まぁ、母親はすごい美人で、自分が顔でのし上がって来たって知ってるから、
私にもチャンスを与えたかったのかも知れないけど。そこは分からない。
全身麻酔の大手術w この年で全身麻酔か!ってわくわくもしたけどねww
テスト開けで一週間休みだったし。
腫れが一週間で引くわけなくて、あと顔も変わってるから、学校ですごいうわさ
になる。わざわざ休み時間にうちのクラスまで来て、後ろでコソコソ話すのww
直接聞いて来いよってウザかったけど無視した。
担任の先生に呼ばれて、整形は化粧と同じ扱いですよ。校則違反です
大体親御さんは知ってるの?って言われて、
「どうやって元に戻せますか? 親にやれってやりました。
こんな顔を作り変える大手術のお金なんて、私にはないし。親に言って下さい」
って言ってやった。
家に電話はかかってこなかった。
アメリカは高校も義務教育で学校は学区によって決まる。私立は本当に金持ちの
人しか行けない上、州で一番いい高校が公立だったから、公立に行くことに。
そこで問題。チビがやたら持ち家にこだわって、家を買うまではホテル住まいになった。
当然高校には行けない。
親のせいでニートになったのに、毎日暇暇ニートニートと母親に罵られ、私は新聞に
載ってた寿司屋でバイトを始める事にした。
車移動の国なのに、免許持ってなくてどこもいけないけど
運よく、チビの会社のルート上にあるレストランだったから、送り迎えをしてもらってた。
晴れて主婦になった母親は毎日ホテルで寝てたり、妹とショッピングを楽しんでたり
して、バイト以外だと常に一緒にいたから、レストランの定休日以外は開店から
閉店までいた。
ちなみに日本料理店なんだけど、オーナーもシェフも中国人w 向こうではよくある事だよ。
まったく英語喋れないから皿洗いでいいです、って言ったのに、なぜかウェイターやらされたww
レストランのウェイターは私一人だったww 多分人手不足じゃなかったら、雇わなかったと思う。
自給500円っていうぼったくりだったし、チップもくれなかったwww
私は雪の中で待っていた。北の方だから、春が来るのが五月くらいなんだよね。
しばらくして、女の人が来て「今日から私がここのオーナーだから、あなたはもう帰っていいよ」
って言われた。
何も告げずにオーナーは店をこの女に売ったらしい。
私は近くのスタバで父親が夜迎えに来てくれるのを待った。
バイトはなくなってまたニートに逆戻りしたけど、バイト代の8割は母親に献上していたから、
大して文句は言われなかった。
家ももうすぐ決まりそうだったし。
これが抜けてたわ
ちなみに英語はまったく喋れなくて、メニューとかは指差したりしてもらってた。
「頑張ってね」って一回$200のチップもらった時は、さすがにオーナーに渡したく
なくてポケットに隠したけどw
チビが駄々をこねていて、まだ家は決まらなかった。
その間にチビがカッとなって、スーパーの駐車場で母親殴って、現地の人に通報されて
裁判沙汰になったりしてたけど、私には特に影響なかったので、詳しくは書かない。
唯一の影響と言えば、その日バイト終わって迎えに来てくれる人いないから、
オーナーの車で送ってもらう事になったけど、途中で車が壊れて、シェフと一緒に雪の中
車を押してガソリンスタンドまで行ったくらい。
ちなみに英語はまったく喋れなくて、メニューとかは指差したりしてもらってた。
「頑張ってね」って一回$200のチップもらった時は、さすがにオーナーに渡したく
なくてポケットに隠したけどw
チビが駄々をこねていて、まだ家は決まらなかった。
その間にチビがカッとなって、スーパーの駐車場で母親殴って、現地の人に通報されて
裁判沙汰になったりしてたけど、私には特に影響なかったので、詳しくは書かない。
唯一の影響と言えば、その日バイト終わって迎えに来てくれる人いないから、
オーナーの車で送ってもらう事になったけど、途中で車が壊れて、シェフと一緒に雪の中
車を押してガソリンスタンドまで行ったくらい。
ESLっていう言語に助けがいる生徒の特別学級みたいな所に行かされたけど、
ESLにいる人は私を除いて英語がペラペラだった(後になって文法がめちゃくちゃだって分かったけど)
成績が悪いとヤバいという本能のせいで、毎日勉強しまくって、英語は上手くなったけど喋らないから
スピーキングが最悪だった。
そんな感じで、友達が一人も出来ず、五月の最後から夏休みが始まる。
しかもそれが九月まであった。
ESLのサマースクールみたいなのが6月から7月まであったけど、それも午前中の三時間だけ
だったから、夏休み長さにびっくりした。
昔だったら嬉しかったけど、主婦となった母親がいるから、素直に喜べない。
だけど、母親は二週間実家の祖父母の家に妹を連れて帰省する事が決まったのだ。
私歓喜! しかし、これが私の人生最悪な事件の始まりだった。
一応小4のブラックホール事件の事もあって、性知識も習得した私は、とりあえず
用心する事にした。というか、ずっと用心してた。
変に露出しないとか、ベタベタしないとか、そういう事ね。
それでも事件は起こるわけでして。
ある日、シャワーから出たら、父親がリビングの大きいテレビでAVを見ていた。
「何してんの」ってすごい冷めた声で聞くと、「面白いからお前も見ろよ」って言われる。
実の娘だったら「ふざけんな、クソじじい」とか言えるかも知れないけど、私が
そんな事言えるわけもなく、「一人で見てね、部屋に戻ってるから」と部屋に戻った。
で10分くらいすると、チビが部屋にやってくる。
「一緒に見ようよ。見た事ないだろ」ってニヤニヤしながら言われる。
「いや、べつに見たくないから」って拒否したら、その日はもう何も言われなかった。
私は自分の部屋から一歩も出なかった。
チビは何がしたいんだろうってずっと考えながら、部屋で飼ってる金魚を眺めてた。
いつもシャワー浴びてる時に起きるんだ。
そして三日目、ついに16歳の事件が起きる。
いつものようにAVに誘ってくるチビ。断る私。でもその日チビは引き下がってくれなかった。
ベッドの上でPCやってた私に追いかぶさって来たのだ。
「ちょっと、ふざけないでよ」とその時、初めて心のそこからキレた気がする。
チビは「楽しい事するから、やった事ないでしょ」とかハァハァしてた。服の中に手をツッコまれて
顔が迫ってくる。
多分育ちのせいかもしれないけど、私は怒られてる時とか緊急事態の時は、頭がすっと
冷えていくタイプ。
「ふざけんなよ、お前。力じゃ叶わないけど、これ終わったら警察に通報するからな」
ってすごい低い声で言ってやったら、チビは数秒固まった後、部屋から出て行った。
エリートだったし、裁判沙汰で前科ついてたし、警察にビビったと思う。
ずっと金魚眺めてたwwww
うちの金魚、手から餌食べるんだよww まぁ、三年後にチビに殺されたけど。
母親が帰ってくるまであと三日くらいあったはず。
先手必勝と思って、取りあえず母親に電話でこの事を話した。
この判断が本当によかった。チビ、私の方から誘ってきたとか、母親に言ってたらしいし。
「私がなんとかするから」って言われて、電話を切った。
電話した理由は、まぁさっきも行ったみたいにチビになんか先に言われたり、
後々脅されたりされたくなかったから。
あの後は襲われる事もなく、三日経った。
母親が帰って来て即家族会議。
その時のチビの言い分がヒドイヒドイ
襲った理由:整形してきれいになったから。俺のイケメンパワー()でメロメロ
にさせれば上手くいくと思った。
女子校でそういう知識もないだろうし、AV見せれば好奇心で釣られるかと思った。
大人しいから、すぐ言う事聞くと思ったし、誰にも言わなさそうなタイプ。
まとめるとこんな感じ。
ちなみに女子校なんて、下ネタ連発で腐女子ジャ二ヲタうじゃうじゃいて、
そういう知識とか山ほど入ってきますwww
大人しいのは生きてく上の振りなだけ。本当は全然大人しくない。
母親はまぁ怒り狂っていた。
一応自分の事好きなのねってぼんやり思ったりしてた。
離婚するのかなー でも離婚したらあんたのせいで離婚よーって言われるから、
離婚はやめてほしいなーって心の中で願ってた。
その願いが届いたのか、離婚はしませんでした!
「あんたのおかげでこの家の名義がお母さん一人の物になったわ」
とある日お礼を言われた。多分初めて言われたお礼じゃないかな?
心の中で大爆笑したよwwwwwwww
そういう事かってwwwwww 計画うまくいってよかったですねーってwwwwww
あの後チビがすごいいやで、空気扱いみたいにしてたら、母親から
「近所とかの目もあるし、妹もいるから、前みたいに扱え」って命令されたから
もう何もなかったようなふりをした。
その頃から自虐も始まった。
リスカとかじゃなくて、腕をかきむしるんだけど、今でもあざみたいな後が
腕中に残ってる。
リアリティーがない
幸せな人生を送ってきたんだな
夏休み開けに学校に行ったら、同じ出身国から来た女の子がESLにいた。
言語も通じるし同い年だし、あっという間に仲良くなる。
サバサバした感じの女の子で、後で分かったけど、本当の天才だった。
アメリカ来た瞬間から英語ぺらぺらで、三ヶ月でESLから去って行ったし、
今は世界の大学ランキングの上位10位の中の一つにいる。
その子の前だとなぜか何でも話せて、私はついに今の親って再婚なんだよねーって
冗談交じりで言ったら
「へー、よく離婚の時反対しなかったね」って言われた。
私は「え、なんで反対するの? だって親が決めた事だよ」ってびっくりしたら
「だって子供であるあなたの人生も変わるから、普通、子供なら反対するでしょ」
とか言われて、呆然となった。
子供は親に反発してもいいんだって、なんか一気に頭の中の霧が晴れた感覚だった。
ずっと母親に「あんたはどこかおかしい」って言われ続けたから、自分がおかしいって
思ってたけど、おかしいのは親の方じゃないかって思った。
早くこの家から逃げなきゃ。
そう思って必死に方法を探して見えたのが大学進学。
州で一番いい大学が全寮制で、そこなら学歴大好きな親も行かせてくれるし
自分も親から離れられる。
しかも、日本で言う早慶レベルの大学だから、将来いい就職先も見付けられるし、
そしたら完璧に離れられると思って、その日から本気で勉強した。
そこで壁が立ちふさがる。
本当は留学生の枠で入れば、トイフルの点数で入れるんだけど、チビが
アメリカ国籍持ってるって理由で(そこは面倒くさい色々省くけど)、現地の学生
扱いされてしまう。
つまり、言語のハンデを考えてくれないってこと。
私、アメリカに二年間いて、トイフル受けてそこそこの点数は取れたけど、
アメリカのセンター試験は英語重視で四教科中三教科が英語みたいなものだった。
結果、第一志望は落ちた。
ギリギリ志望校のボーダーは超えたけど、審査内容で学校の成績とか、自己アピールとか
そういうのもあるから、ボーダー越えても受かるとは限らないんだよね。
州で二番目にいい学校は受かったから、あんまり母親に文句は言われなかったけど。
ボーダー結構越えてたから、給付金ももらえたしね。
そこは家から近かったし、全寮制でもないから私は実家暮らしのままだった。
高校を卒業して大学に。
アメリカの大学は想像以上に難しくて、単位を落とさないだけで精一杯だった。
当然成績とかもC評価ばかりで、母親からめちゃくちゃ怒られた。
流石にその年になると、殴られるとかはなかったけど、かわりに言葉の暴力が酷かった。
父親に捨てられて母親が養ってくれたという考えがこびりついてたから、
「私が養った。お金もかけた」みたいな事を言われると、どうしても反論できなかった。
その時、母親のもう一つの特徴として、私より五、六歳くらい年上の息子のいる
母親と仲良くしては、私を連れて遊びに行ってた。
その時の母親が毎回言う言葉が
「この子はね、女子校育ちで男と手を繋いだこともないのよー」
その頃になると、母親はよく大学卒業して、お母さんが探した男と結婚して、
それでいつまでもお母さんのそばで暮らしてねとよく言っていた。
私はだんだんそれが恐ろしくなった。
自分は大学を卒業しても逃げられるのだろうか?
よく母親に「あんたは一人で生きていけない」って言われるけど本当にそうなのだろうか?
そんな事を考えてると、勉強にも集中出来なくなって、成績はがた落ち。
アメリカの国立大学は、一定の単位が取れないと、強制1年間休学システムがあって、
私は見事にそれに引っかかってしまった。
今まで10時間以上毎日必死に勉強して、やっとついていけてたレベルだから、当然と言えば
当然の結果だ。
母親は大荒れ。
圧力がすごくて、私はその日から自分はこの一年以内に自殺するかもな、
と本気で悩んだ。
夜中に首吊り実験とかもしてた。
ちなみにその時が大学二年生の途中。
その時ずっと励ましてくれたのが、日本にいた唯一の親友。
「帰国子女ならこっちの大学余裕でしょーwww 辛いなら戻っておいでーw」
と言われて、日本に帰ろうと突然閃いた。
その日から、私はニートだと申し訳ないし、バイト始めるねと言って、今度は
アメリカンレストランでウェイターを始めた。
ちなみに、大学入る前に免許はもう取った。
バイトのお金は全部貯めた。
毎日朝9時から夜10くらい働いてた。
店長がすごいいい人で、私が事情を話すと、お金が必要だから入れる日は全部
入りなさいって言って、シフトも優先にしてくれた。
半年も働けば、日本円にして60万は稼げた。
でも60万で何が出来るんだろう。
飛行機代だけでも10万はかかる。残り50万だとアパートを借りるので精いっぱいだ。
そもそもアパートの保証人はどうするんだろう。
でも、急がないと一年というタイムリミットが過ぎる。
そこで思い付いたのが実の父親。
私は祖母から実の父親の電話番号を聞き出した。
電話する時、小5の時の事を思い出して、同じ事言われるかも知れないと覚悟した。
父親が電話に出る。
私は、お父さんに会ってみたいと言うと、父親は快く了承してくれた。
中国までの飛行機チケットも出してくれるという。
私は母親にちょっと父親がどんな人か会ってくるね、と告げると、母親に
「やっぱり犬と同じね、小さい時から躾けないと、主人の事に柔順じゃなくなる」
と言われて、やっぱりここを離れるのは正解だなと思った。
中国の空港で父親が待ってくれていた。
父親の家にいると、15歳年下の奥さんと、双子の妹と弟がいてびっくりした。
あー、やっと安定した家を持てたから、私が来てもいいってことねって納得もした。
二週間滞在する予定だった。
父親はあの後、刺繍セットの商売を始めて、結構上手く行ってる感じで、家も広かった。
で、ここから父から聞いた過去の話。あの後母親にも確認したから、簡単にまとめると
父親がどこからか嗅ぎ付けたか知らないけど、母親が日本に行ったと知る。
それで自分も行きたいと母親に「やりなおそう」と手紙を出す。
その言葉を信じて、母親お金を払って父親の分の申請も出す。
でも父親こっちに来ると学校にも行かないで、毎日バイト。
単位取れなくて進学できず、ビザが切れても不法滞在でバイトを続ける。
それでお金が貯まったら一人でまた勝手に中国に帰って行った。
父親は母親と目指してた物が違ってたから、を連発してたけど、こいつクズだなって思った。
母親は自分を二度も騙した男と自分を重ねてたんだろうなって思った。
性格とか確かにそっくりだったしw
中国人大好きな親族集まりで、すごく幸せです、お母さんも厳しくしてくれて
とてもいい母親ですって幸せアピールして、父親の面子を潰さないようにした。
それで父親の前では、誰にも出来なかった不幸自慢をとことんしまくった。
突然降って現れた妹と弟の面倒もよく見た。
私から見たら、恐ろしい程躾が出来てない子達で、幸せに育ったんだろうなって憎かった。
もう手伝えることあれば何でも手伝った。
結構観光スポットもある場所だったけど、どこも行かずに毎日父親と店番した。
それで最終日に「今まで申し訳ない」と日本円200万円相当を現金で渡してくれた。
吐き出したいことは全部吐き出せばいいさ
私は心の中で喜びに喜んだ。
汚い人間かもしれないけど、お金なければ何も出来ないわけだし。
そのまま私はアメリカに帰って、母親に日本帰る宣言をした。
母親は当然大反対。
母親の用意してくれた人生だと、私はずっとアメリカで生きて、アメリカで
死んでく予定だったからねw
君のお金は一銭も使いません。自分で生きていきます。自立するんです。
って言ったら、「今まであんたに使ったお金返せ」と言われた。
「子供を育てるのは親の義務でしょ?」と言ったら母親はびっくりして言葉を
詰まらせた。
多分、私が長年一度も反発した事ないから、驚いてたと思う。
こっちは生死をかけての戦いのつもりだったから、心臓バクバクだったけど頑張った。
頭は妙に冴えてたしwww
「私だけお金払って! あの男はいいわよね! あなたを引き取らなかったからお金も
払わないで済むし! 不公平だ」みたいな事言ったから
「これからはあの男にもちゃんと払ってもらうからご心配なく。養育費は私のお金で
お母さんのお金じゃないしね。不公平じゃないよ」と言ってやったら完璧に黙った。
チビは隣で「今まで育てたのに、感謝もしないとはやっぱり実の娘じゃないから」
って呟いてたけど
「16歳の時の話し合い、まだ録音残ってるからな。いい気になるなよ」って言ったら、顔真っ赤にして
黙った。
私は部屋に籠ると、一番早い飛行機チケットを買った。
出発は三日後だった。
さっそく荷物をまとめると、6歳の妹が泣きながら部屋に入って来た。
それで私に紙を渡してくれて、見ると「Good-by Letter」って書いてあって
内容は「お姉ちゃんがいなくなるのはすごく寂しいけど、お姉ちゃんはお姉ちゃん
のしたい事があるからがまんします。でもやっぱりかなしいです。かなしいけど
がまんします。日本にいっても私の事忘れないでね。べんきょうがんばって」
みたいな事が書いてあって、その場で妹抱き締めて二人で泣いた。
妹は本当にいい子で、いつも私の後ろを付いて回るような子で大好きだった。
ちなみにその手紙はいまでも宝物です。
こういうスレを見るたびに自分よりひどい境遇の人がいればいいなと思うのだが
大抵の場合、自分の境遇からすると天国で、その天国がいわゆる普通の人から見たらひどい家庭ってパターン
そして今回もまた
本当に自分は、最下層に生まれたんだなぁ
その気持ち分かるし、自分も他の人と比べれば十分恵まれてるのも知ってる。
精一杯生きて行こうとしか言えない。
三日後に私は飛行機に乗った。
最初はタクシーでも呼ぼうかと思ったけど、チビが送ってくれるって言ったから
タクシーも高いし、言葉に甘えることにした。
妹も来てて、見送る時は泣きそうだったけど、泣かないで笑ってくれた。
母親は来なかった。
飛行機の中で今までの人生振り返ったら、何もかも淡々としか思い出せなくて、
すごく虚しくて一人で号泣してたら、隣のお兄さんにめっちゃ心配されたw
日本に帰っても、とりあえず大学は行こうと思ってめちゃくちゃ勉強して、
先月特別入試で大学決まったので、正式に日本にいる事が決まりました。
日本に戻って来たのが今年の五月で。
先週母親に始めて連絡取って合格したら「これからは頑張りなさい」と言ってくれた。
「困ったらお母さんに言って。お金の事でも恋愛でもなんでも」って母親はちょっと泣いてた。
この人も結局はいい人なんだと思う。
父親とも連絡取ってる。この人はクズでお金取れるだけ取ろうかなと思ってます。
以上です!
ここまで付き合ってくれてありがとうございます!
どうしようもない親から離れてみると、少し良いところも見えるのかもね
ご家族と程よい距離感をとりつつ
これからの人生に幸多かれと祈ります
ざっと読み返して気付いたけど、従姉の話が抜けてたな。
中国の人って恵まれてる人がいると、その人にたかる思想が普通なんだよね。
この場合、うちの母親が日本にいるって事で裕福扱いされて、従姉が留学したぁーい☆彡
って言って、こっちに来た。
生活費全てこっち持ち。日本語学校の費用とか、大学費用も出せって言われて
さすがにそれは無理って母親が断ったら、今でも親族からケチな人扱いされてる。
こっちはウィンナー一本を二人で分け合う生活してたのに、何が裕福だよww
しかも母親本人に言わず、子供の私のニヤニヤしながら言ってくる。
本当にこいつら腐ってるなって思う。
申請すれば単位と一部編入できるんじゃ?
学部が違くて、単位は編入出来なかったよ。
ちなみに大学一年からやりなおしwwwww
貰えるものは貰って大学生活満喫してくれ
>>1です。
みんな読んでくれてありがとう。
自分は確かに人より恵まれてた面もあったと思うし、そこは母親に感謝してる。
距離を置くといい所が見えるというのは本当で、今はボチボチ母親とLINE始めてるよ。
直接会って話せない事も、文字だと言いやすいしね。
一応自分を捨てないで育ててくれた人だったから、これから分かり合えたらなと
思ってる。
幸せに生きてくれよ
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