ばあちゃんが死んだという実感がいまさらわいてきた
( ´・ω・)∧∧ 泣いたらええねん
/⌒ ,つ⌒ヽ)
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3: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2014/02/21(金) 10:25:09.29 ID:KUIn3pU30
ちょっと語らせてもらってもいい?
一回まとめて整理したい。
ばあちゃんは難病を患って以来もう何年も寝たきりで、我儘が強い人だった。
朝トイレで起こされたり、突然呼び出されたりで正直ウザいと思ってたんだ。
ばあちゃんが急に弱くなったのは、じいちゃんが亡くなってから。
もう七年も前のことになるのかな。
じいちゃんっ子だった俺は、幼いなりに相当ショックを受けたし、
死に目に会えなかった母さんは発狂していた。
今も当時の記憶がほとんどないらしい。
いっつも俺をかわいがってくれたじいちゃん。
末期のがんで相当つらかったのに、俺を迎えに小学校まで自転車で来てくれた。
どんなに俺が悪くても、じいちゃんだけは俺の味方だった。
今でも思い出すと涙が出てくる。
でもそれ以上に、おばあちゃんも爺ちゃんのことが大好きだったんだね。
49日の次の日に、ばあちゃんは倒れた。
大号泣するから
>>4
何回も見て泣いたわ。
ばあちゃんは大腸がんだった。
本人には知らせてなかったけど、医者にも「もうダメですね」って言われるほどに重篤な症状だった。
骨粗しょう症でただでさえ弱っていた婆ちゃんは、手術に耐えられないかもしれないような状態だった。
手術は何時間にもわたったけど、何とか成功した。
医者曰く、腸が破裂?して、体中糞まみれだったらしい。
洗浄に何ℓも使って、次の日には意識が戻ってた。
きっとじいちゃんがまだ来るな。ってしてくれたんだねってみんなで言ってた。
この時母さんは発狂してたから、父に加えて母まで亡くしてしまったら生きる気力を奪いかねないような状態だった。
婆ちゃんの手術は二回目で、その何年か前にも胆石で入院していた。
その時もかなり危ない状況だったらしいんだけど、無事退院していた。
東京大空襲も生き延びている婆ちゃん。生命力の塊で、
ついこの前まで「死ぬまで生きる」ってよく言われてた。
婆ちゃんのことは俺は相変わらずウザいと思っていた。
大腸がんで退院したあたりから寝たきりの状態になり、
我儘が強い婆ちゃんはつらいリハビリはほとんどやらなかったから体力はどんどんなくなっていった。
世話するのは母さんや父さんが中心だったけど、俺も時々していた
中学校卒業や、高校合格のとき婆ちゃんは涙を流して喜んでくれた。
本当によくなく人で。久々に親戚にあったらそのたびに泣いてた。
ちょっと親戚きたからパショるけど、
ばあちゃんは昨日、朝倒れてそのまま亡くなった。
トイレをしようとして、立ち上がったときに貧血のような症状になったらしい。
でも、ctとか一切の異常がなく、老衰だった。
俺しか家にいなかったから、俺が救急車の助手席に乗った。
心肺停止の状態で、ずーと心臓マッサージをしてくれた。
そうしたら諦めてたんだけど、30分くらいたって心拍と呼吸が戻ったんだ。
その後ctやらなにやらをとって、意識の回復は難しいとのことだった。
いわゆる脳死に近い状態だったらしい。
血圧の維持ができなくなって、薬剤を投与してなんとか延命している状態だった。
5人の息子兄弟に連絡を取った結果、俺たち親子3人で看取ることになった。
本当に安らかな最期だった。
「不死身の婆ちゃん」の最期は、実にあっけないものだった。
爺ちゃんの時と違って、死に目に会えた母さんも父さんも、納得のいく最後だった。
大往生と言って問題ない年齢だ。
俺も死に目に会えたことは後悔してない。
今となってはよかったと思ってる。
家族三人にみとられて、あれだけ嫌いだった病院には最後の意識を失うときまでいかないで、
幸せだったと思うよ。
母さんは泣いてた。父さんもウルウルしていた。
俺はショックは受けたけど、ついさっきまで涙は出てこなかった。
前兆はあったけど、突然のことだったし受け入れられてなかったのかもね。
その後手続きを済ませて、家に遺体が運ばれてきた。
親戚や友達、みんなに線香を立ててもらってはじめて、「亡くなったんだな」っていう実感がわいてきた。
それでも涙は出なかった。
んで、今日の朝に部屋の整理をしてたんだ。
寝たきりのばあちゃんの部屋にはベットとテレビ、簡単なタンスしかなかったんだけど。
これがキツすぎた。
俺が中高の修学旅行や旅行のたびに買ってたお土産のお守りが大事にしまってあるんだ。
寝たきりで頑固なばあちゃんだったけど、介護のヘルパーさんや企業の人の何年も前の名詞とかもちゃんとまとめてあるのよ
飲みかけのお茶やら、もう乗ることのない車いすやら、いつも来ていたちゃんちゃんこやら・・
寝たきりになる前に使っていた杖、じいちゃんの生前の写真なんかも出てきた。
俺の小さい頃からの写真も大事にしまってあった。
ヘルパーさんからのバースデーカードも調度7年分、しっかり並べられてた。
読書が好きだったばあちゃんの眼鏡も出てきた。
ここで俺の涙腺が崩壊した。
もう、「いつも通り」の朝は二度とやってこないんだなって
耳が遠くて大音量でつけてたテレビの爆音を聞くこともないんだなって
ちゃんちゃんこ姿のばあちゃんの姿をみることもないだなって・・・
ばあちゃんはもう起きてこない。
子供のころはババァきめえって思ってたし、今も思うことはあったけど
婆ちゃんは俺のことが大好きだったんだよ。
俺の高校合格や、俺からのプレゼントを心から喜んでくれてた。
俺がちょっとでも遅くまで寝てると、「学校はー」って起こしてくれた。
寝たきりでわからないはずなのに、音を頼りに俺がバットを公園に忘れてるのも気づいてくれたっけ。
手袋も編んでくれたね。
本当に心配してくれたんだ。ありがとう婆ちゃん。
でも婆ちゃん、あと半日まってくれたらスーツのお直しも終わって、
スーツ姿を見せられたのに。
あと一日待ってくれれば、今日の10時に大学の合格発表が届いたのに、
あと10日待ってくれれば卒業式、あと一か月で入学式だったのに・・・
ばあちゃんの枕元に、さっき合格通知を置いてきた。
きっと泣いて喜んでるだろうな。
朝倒れた時点ですぐいかなかったのは、じいちゃんが死に目に会えるように気遣ってくれたのかな?
じいちゃんと末永く幸せにね。
きっと向こうで久々に会った親戚や友達、長男坊にあって泣いてるよね。
もうすぐべっとを回収しに業者さんがくる。
車いすもその時にもっていってもらう。
ばあちゃんがいた「証拠」がなくなってしまう・・・
俺が帰っても、もう「おかえり」はないんだね。
もう母さんと「飯が固い」って喧嘩することもないんだね。
死んじゃったんだね、婆ちゃん・・・
もっと話がしたかったよ
婆ちゃんのこと嫌いだと思ってたけど、大好きだったんだね。
じゃなきゃこんなに涙は出てこないもんね。
無視したりしたこともあったね。本当にごめんなさい。
つらく当たったこともあったね。本当にごめんなさい。
いつも迷惑かけたね。本当にごめんなさい。
いつも心配してくれたね。本当にありがとう。
>>20
婆ちゃんは突然だったから、今日も朝起きてくるんじゃないかって思ってしまったわ。
爺さんばあさんは孫のことが本当に大好きなんだろうね・・・
にしても突然すぎるよ・・・
1月に倒れた時だってその日に帰ってこれたじゃないか
一昨日だって父方の婆ちゃんと楽しそうに飯食ってたじゃないか
昨日の朝だっていつも通りに起きて、トイレしようとしてたじゃないか・・・
通夜は喪服じゃないけど、スーツで出るからね。
入学式、楽しみにしてたもんね。
告別式は学ランで出るよ。もうすぐ卒業するからね。
毎日お参りするからね。あまり学校のことは話さなかったからね、毎日報告するよ。
じいちゃんによろしくね。
本当に18年間ありがとう。そして約90年間お疲れ様でした。
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