記憶障害で時間が飛ぶ俺の話を聞いてくれ
カラオケに向かう途中に「あれどこ向かってんだっけ?」
歌ってる途中に「あれ、なに歌ってんだっけ?」
みたいな感じ。
俺の場合は5秒どころじゃなくて、数ヶ月~1年くらい飛ぶ。そういう障害。
単車でアパートに帰る途中でセダンと正面衝突したんだ。
後から聞いたが、原因は相手の飲酒運転。
ぶつかった瞬間、気づいたら俺は病室のベッドの上だった。
俺は施設で育ったので、両親はいない。
すぐに友人が飛んで来て、事情を説明してくれた。
強く頭を打ったので、脳に障害が残るかもしれない、と言われた。
両親の事はなにも知らないで育った。
だけど、将来自分の子供をちゃんと育てられる大人になるために、一生懸命勉強した。
弁護士になろうと決め、県でトップの県立高校を出て、東大に入った。
慣れない東京での暮らしは大変だったが、楽しい毎日だった。
友人が大学にも連絡していてくれたので、しばらく入院する事になった。
記憶障害が残るかもしれないというのは、相当なショックだった。
病室のTVを見ていた。はずだった。気づいたら電車に乗っていた。
見覚えの無い駅、服、所持品。
確認するほどに混乱した。
トイレに駆け込んで、鏡に映る自分が長髪なのに驚いた。
ポケットの携帯は事故から7ヶ月が経った事を示していた。(事故った頃持っていたものとは別物。)
俺は来たことも無いはずの仙台にいた。
2001年の秋
風邪ひいてて寒気がするので、大久保にある病院に行くため西武新宿線のつり革につかまってた。
で、あたまがぐわんぐわんと痛くて、目を閉じて眉間にしわ寄せて耐えてた。
そこで記憶が途絶えて、気がついたら夕方で、あたりは見知らぬ景色。
買ったことない服着てて、髪染めたこともなかったのに茶髪になってた。
パニクって近くのラーメン屋に入って、ここどこと聞いた。大阪市の福島駅の近くで、時間が一年
近く経ってた。ケータイの種類が変わってた。アドレス帳には、「ま」とか「ひ」とか、一文字の
名前で電話番号が10程度あったけど、知り合いや実家の電話番号がない。
俺はなぜだか知らないがその知らない電話番号が恐ろしくて、川に捨てた。警察から実家に連絡した。
向こうもパニクってた。俺に捜索願が出てた。
とにかく、帰って、今もまだ月一で精神病院に通ってる。
仕事は元の会社には帰れないみたいだったので、今は派遣やってる。
>>15
これ探してた!サンクス!
俺と状況そっくりなんだけど、ただ違うのはこの人事故もなんもしてない。俺より怖い。
携帯のメモリには7件くらいしかなかった。どれも知らない名前。
個室で泣いた。もうなにもかも意味がわからなくて、どうしたら良いか分からなかった。
カバンの中に入っていた封筒は俺宛てだった。住所を頼りに家を探し、鍵はカバンの中のもので開いた。
普通の部屋なのだが、もちろん見覚えはない。
飾ってある写真には知らない人ばかりが写っていた。真ん中に俺。
ゴミ箱にはコンドームが捨てられていて、知らないうちに童貞を卒業していた事がなんだか
悔しくて笑った。
翌日新幹線で東京に戻り、友人の家へ向った。
病院へ行くのは怖かった。
俺の姿を見た友人は驚き、困惑していたが、居候させてくれることになった。
なんども入院を薦められたが、金銭的に厳しいと言い訳をした。
大学へ行く気は失せていたし、また急に記憶が飛ぶのも怖かった。
日雇いのバイトをはじめ、一人暮らしを始めた。
東京に帰ってきて1年くらい経った頃、コンビニで立ち読みしていたらまた記憶が飛んだ。
朝だったのがいきなり夜になってたり。
気づいたら携帯の着信履歴が同じ番号だらけになっているのだ。多分仕事をばっくれたりしたのだろう。
だが、今回は事情が違った。
13ヶ月飛んだのだ。
>>25
なんというか
俺の記憶は断片的になってるんだ。
普通の人の記憶↓
1 2 3 4 5 6 7 8 9
俺↓
1 2 3 5 8 9
こんな感じか。数字が抜けてる部分は、もちろん覚えていない。
俺からしたら3から5へいきなり飛ぶ感じだ。
わかりにくくてすまん。
こっからの釣り臭さは加速するぜwwwww
飲み屋の休憩室?に座っていた。
スーツのポケットの中にはバイシクルのトランプが一組、がま口の小銭入れに4枚の銀貨(米50¢)。
内ポケットには赤いシルク。
「俺くん、そろそろだよ。」名前が呼ばれる。
「ちょっと待ってください!」適当に答える。
パイプ椅子の下には見覚えのあるカバン。東京でバイトしていた時と同じものだ。
それを抱えて、裏口からダッシュで逃げた。
街に見覚えがある。だけど来たことはないはずの街。大阪にいた。
らやばいな
いや今思えばアパートだな
>>31
正直さっさと病院行くべきだった
大阪は初めてのはずだったが、「なんとなく」道がわかった。
「ここっぽいな」という駅で降り、「こっちだった気がする」という道を歩き、
「見たことある気がする」マンションのドアは鍵が合った。
もちろん、ささっと辿り着いたわけではないけど。
部屋には家具こそ少なかったが、マジックのDVD、本、道具がきちんと整列されていた。
TVにも良く出るマジシャンと、さっき俺の名前をよんだおっさん、俺、という写真が飾ってあった。
どうもマジックバーの店員らしい。
高校の頃からマジックは好きだった。気づいたらプロ(一応)になっていた。
>>34 昔の俺ならありえる。
財布の中には10万以上入っていた。
とりあえず新幹線で東京に戻り、一人暮らししていた頃のアパートに行ってみたが、すでに他の人が住んでいた。
その日はホテルに泊まった。
東京での元職場の上司には緊急連絡先として友人の番号を教えていた。
相当迷惑かけたはずだ。会わす顔もなかった。
もし次記憶が飛んで、刑務所の中だったり、海外にいたりしたら非常にマズい。
いろんな人に迷惑をかけるかもしれない。たぶんこれまでにも相当かけている。
これ以上一人で行動するのは危険だった。
「俺くんだよね?」
高校の時の彼女だった。(以下Sとする)
ずいぶん久しぶりに(俺が正常な意識がある時の)顔見知りに会ったので、不意に涙が止まらなくなった。
安心したというか、やっと自分自身を確認できた気がした。
胡蝶の夢、という故事があるが、俺も自分がわからなくなり始めていた。
その次の日から彼女と連絡がとれなくなった。
大学に入ってから、突然電話がきたことがある。
Sは泣きじゃくって謝り、やり直したいと言った。両親が許してくれなかった、と。
そのときには別の彼女がいた。だけど俺はたぶん、まだSの事が好きだった。
親御さんの表情が忘れられなかった。俺は断って電話を切った。
Sと喫茶店に入った。コーヒーが来る前に、俺は今までの事を喋りだした。涙は止まらなかった。
彼女も泣きながら俺の話を聞いていた。ウェイトレスがドン引きしていたが構わず喋った。
それから一人暮らしのSの家に居候させてもらうことになった。
病院にも通いだし、小型のGPSを携帯するようになった。
半年も過ぎるころには、薬の効果もあり、記憶が飛ぶことはほとんどなくなった。(あっても10分程度。)
だけど、俺の通っている病院ではない。九州からだ。
俺の親父が危篤だ、そう言われた。
俺はまったく行く気にならなかったのだが、Sの強い勧めもあり、九州へ飛んだ。
初めて会う親父はもう意識が無く、看護士から親父直筆の手紙を渡された。
話は2年後に飛ぶ。(記憶は飛んでないぞw)
俺はSと結婚し、親父の金を元に小さな喫茶店を開いた。
正直いつ再発するかもわからんので、小さくとも自分の店がほしかったからだ。
Sは料理が上手で、
俺は大阪から持ってきたDVD等で勉強して、一応マジシャン兼オーナーをやっている。
結構繁盛しているので、自分で驚いているくらいだ。
来月、子供が生まれる。
医者の話だと、俺の障害は遺伝しない(予定)だそうだ。
今でも薬は手放せない。一応GPSも持ち歩いているが、記憶が飛ぶことは無くなった。
まぁそんなとこ
母親は俺が生まれてすぐあとに交通事故で死んだこと。(なんて事故の多い家族なの。)
父は建設業を営んでいて、現金で相当額の資産があること。その使い道は俺に任せるということ。
俺を手放したことに対する謝罪がやまほど。
すまねぇw
事故って眼もちょっとやられてるんよ
長時間ディスプレイ見んのはつらいw
精神科での検査結果はすべてセーフだったよー
なんか俺もよくわからんのだが、記憶と記憶を結ぶ能力が超絶低下しとるらしい。
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